日本における空襲の記憶を、年表で見ることができます。太平洋戦争全体の流れや、各地の空襲がいつあったかを知ることができます。東京大空襲や広島、長崎の原爆などについても記しています。
1937年7月
北京(北平)郊外で盧溝橋事件、日中戦争始まる
1937年12月
日本軍、南京を占領
1938年12月
日本軍による国民政府の臨時首都・重慶への空襲開始
1939年5月
ノモンハン事件
日本軍とソビエト軍が衝突
1939年9月
ドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦始まる
1940年9月
日独伊三国同盟締結
1941年4月
日米交渉始まる
1941年10月
東條英機内閣成立
1942年1月
日本軍、マニラ占領
1942年2月
日本軍、シンガポール占領
華僑虐殺事件おこる
1942年2月〜1943年11月
日本軍によるオーストラリア北部への空襲始まる
1943年2月
日本軍ガダルカナル島から撤退
1943年9月
イタリア、無条件降伏
1943年10月
学徒出陣
学生の徴兵猶予停止
1944年7月
サイパン陥落
日本本土のほとんどがB-29の攻撃範囲に
1944年8月
学徒勤労令、女子挺身勤労令
中学生や女学校生などが工場等に動員される
1944年8月
学童集団疎開始まる
1944年10月
レイテ沖海戦
海軍神風攻撃隊初出撃
1944年11月
マリアナ諸島から東京へのB-29による空襲始まる
1945年1月
アメリカ軍、ルソン島上陸
2月 日本軍守備隊全滅
1945年3月12日、19日
名古屋大空襲
死者1,300人以上
1945年3月17日
神戸空襲
死者2,500人以上
1945年3月
米軍、マニラ占領
1945年4月15日
神奈川・川崎空襲
死者およそ1000人
1945年5月
独、無条件降伏
1945年6月10日
茨城・日立空襲
死者およそ1,200人
1945年6月18日
浜松空襲
死者1,717人
1945年6月19日
静岡大空襲
死者1,952人
1945年6月23日
沖縄での組織的戦闘が終わる
1945年6月29日
長崎・佐世保大空襲
死者およそ1,300人
岡山空襲
死者1,737人
1945年7月7日
千葉空襲
死傷者1,679人
甲府空襲
死者1,027人
1945年7月9日
和歌山大空襲
死者およそ1,101人
1945年7月12日
宇都宮大空襲
死者628人
1945年7月15日
北海道・室蘭艦砲射撃
死者436人
茨城・日立艦砲射撃
死者395人
1945年7月19日
福井空襲
死者1,576人
千葉・銚子空襲
死傷者1,181人
1945年7月26日
松山大空襲
死者およそ300人
山口・徳山空襲
死者482人
1945年8月5日
群馬・前橋、高崎空襲
死傷者1,323人
1945年8月7日
愛知・豊川空襲
死者2,477人
1945年8月8日
ソ連、対日宣戦布告
対日参戦
1945年8月9日
ソ連、満州への侵攻
1945年8月15日
正午、天皇による「玉音放送」によって「終戦」が国内外に伝えられる
満州事変(1931年)に始まった昭和の戦争がようやく終わりましたが、そのおよそ15年の間に、日本人310万人、そしてアジア太平洋地域では1000万人から2000万人とも言われる人命が失われました。戦争の時代を生き抜いた人々の過酷な体験は日本人の集合的記憶となり、戦後長く「不戦と平和を守る」ことの大切さが語り継がれています。
日本全国の空襲死者数
459,564 人
都道府県ごとの 空襲死者数
※この数値は「NHKスペシャル 本土空襲全記録」取材班が2017年に調査したデータです。「太平洋戦争における空襲被害に関する調べ 2016年 地方行財政調査会」をもとに、NHKが独自に集計した犠牲者数を提供していただきました。正確な記録が残っていない地域も多く、データは完全なものではありません。以上をご了承いただいたうえで参照してください。
※空襲の死者数は当時の自治体の調査のほか、その後の研究者による調査などによって異なる数値があります。正確な記録が残っていない地域も多く、データは完全なものではありません。以上をご了承いただいたうえで参照してください。