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「日本に行く夢がなければ死んでいた」ウクライナから来た23歳、日本で見つけた生きる目的 #平和を願って

「夢がなかったら死んでいた」家族と別れ、1人で日本に避難

レナ・ベレズナヤさん(23)は、ウクライナの第二の都市・北東部のハルキウで暮らしていました。両親と7つ下の弟とマンションで4人暮らし。ロシアによるウクライナ侵攻がはじまる直前までは、大学で食品加工などを学びながらソーセージ工場で働いていました。決して裕福な暮らしではありませんでした。そんな中でレナさんが大事にしていたのが日本のアニメを見る時間です。

「15歳ごろ、友達の家でスタジオジブリの『ハウルの動く城』を見て日本のアニメを知りました。それからインターネットで日本のアニメを見るようになりました。1番好きなアニメは『進撃の巨人』。2番目は『もののけ姫』です」

侵攻前のウクライナ・ハルキウの自宅の窓から見えた景色(レナさん提供) 侵攻前のウクライナ・ハルキウの自宅の窓から見えた景色(レナさん提供)

2022年2月24日、この日を境にレナさんの暮らしは一変しました。

「朝5時に目が覚めると母から『見て、爆発』と言われて窓から外を見ました。その後、爆発音が聞こえてきました。それが一番怖かったのを覚えています。少しずつ慣れてきました。でも、次の爆発がどこで起きるかわからないから怖かった。爆発は花火と同じ音です。マンションの16階に住んでいたから、戦闘機の音がとてもうるさかった。『これが落ちたらわたしは死ぬ』と心の準備をしました」

侵攻開始から1週間ほど経った夜、レナさんは避難をしようと母に相談をしました。しかし、家族は家から離れたくないと拒みました。親など自分より上の世代の人たちは避難の決断をするのは難しいのだといいます。

「家族と一緒に避難できればもちろんいい。家族と離れることは悲しいと思った。だけど人が望まないときに、私は何もできない。それでも『わたしは行く』と母に伝えると『わかった』と私の大事な書類をまとめて渡してくれました。私には侵攻前からうつ病の症状があって『死にたい』と思うことが多かった。だけど、日本に行きたいという夢があった。私はいま死んだら日本に行けないと思った。だから避難しました。夢がなかったらそのまま死んでいた」

駅まで17キロ、地下鉄を歩いてたどり着いた国境 夢をつないで日本へ

避難を決断し自宅を出たレナさん。近所から町の大きな駅までを結ぶ地下鉄は侵攻により止まっていました。駅までおよそ17キロ、地下鉄のトンネルの中を歩きました。駅に着くと攻撃を逃れようと大勢の人が押し寄せていました。

「どこに行く電車かもわからなかったけど、どこかもっと安全なところに...と思って乗った。ボランティアの力を借りて国境を超えてポーランドへいきました。クラクフという町で会ったウクライナ人の家に住まわせてもらうことになりました」

一人で地下鉄の線路をひたすら歩いた。攻撃を避ける唯一の安全な道だった(レナさん提供) 一人で地下鉄の線路をひたすら歩いた。攻撃を避ける唯一の安全な道だった(レナさん提供)

清掃のアルバイトをしながらポーランドに1か月ほど滞在しました。周囲の人に「夢は日本に行くこと」と話したことがきっかけでポーランド在住の日本人・カスプシュイック綾香さんに出会いました。綾香さんは、侵攻後まもなく日本の避難民の受け入れ態勢について情報が少ない中で、日本に出発できる手立てを探してくれました。そして2022年4月、侵攻からおよそ2か月後にレナさんは日本にたどり着きます。

最初に向かったのは群馬県富岡市です。綾香さんの活動を知った佐藤裕さん家族がレナさんを受け入れました。当時はほとんど日本語が話せず、翻訳機を使って会話をしました。佐藤さん家族は簡単な日本語を一生懸命教えてくれました。およそ1か月後、レナさんは自立のため日本語学校に通いながら前橋市の工場でプラスティック部品を組み立てる仕事をはじめました。

佐藤さん夫婦と娘の家族が共に暮らす日本家屋で約1か月過ごす(佐藤さん提供) 佐藤さん夫婦と娘の家族が共に暮らす日本家屋で約1か月過ごす(佐藤さん提供)

それから1年以上が過ぎたころ、熊本県熊本市の竜之介動物病院の德田竜之介院長からレナさんに連絡がありました。2016年の熊本地震の際にペット同伴の避難所を開設するなど、災害時におけるペットと人の支援活動をしていた德田院長は、メディアで伝えられるウクライナの状況にも心を寄せていました。

德田竜之介院長
「戦争も動物にとっては災害であって何らかの形で支援をしたいと思っても、資金は人道支援に回るのでなかなか難しい。そう思っているときに、レナの記事で獣医や動物看護師をやりたいという言葉を目にして、ぜひうちで勉強してほしいと思ったのがレナとの出会いのきっかけ。レナに成長してもらうことで、ウクライナの動物を助ける架け橋になってくれるのではないかと思った」

德田竜之介院長とレナさん。最近は冗談を言い合う。メッセージのやりとりも明るくなった 德田竜之介院長とレナさん。最近は冗談を言い合う。メッセージのやりとりも明るくなった

飼い猫との別れ「もう会えない、野良猫になったと思う」

2023年6月、レナさんは熊本市へ移住し竜之介動物病院で働き始めました。

「熊本で働くという話を聞いたときやりたいと思った。でも、佐藤さんと会うのが難しくなることをちょっと心配した。でも、動物が好きだからやってみようと思った。難しいし、時間がかかる。でもがんばります。日本が好きだから。動物も好きだから」

病院での仕事は週5日、午前7時から午後4時まで。犬舎、猫舎の掃除やタオルなどの洗濯、入院している動物たちの体重測定、備品の整理や記録、注射や点滴の際のアシスタントをしています。休みは週2回、その間日本語教室にも通っています。働きながら日本語と、動物看護士になるために必要な知識も身に着けていきます。

レナさんの部屋のたんすやドアには、医療用語を自分で翻訳した紙が貼られていた レナさんの部屋のたんすやドアには、医療用語を自分で翻訳した紙が貼られていた

レナさんは幼いころから動物が好きでした。ウクライナの自宅でももらってきた猫を飼っていました。しかし、侵攻によって猫と離れ離れになりました。

「いま、どうしているか残念ながらわからない。多分、野良猫になったと思う。戦争がはじまったとき、たまたま母の妹の家に飼っていた猫を預けていました。妹が避難するとき、猫はそのままだった。妹の犬もそのままだったから野良犬になったと思います。猫を探したけどみつかりませんでした。寂しくて会いたいけど、いつになったら会えるのかわからない」

ウクライナで飼っていた猫のミルカ。いつも一緒に過ごした「友達だった」と話す ウクライナで飼っていた猫のミルカ。いつも一緒に過ごした「友達だった」と話す

ロシアの攻撃を受けるウクライナ本土では、たくさんの動物が亡くなりました。少しでも自分にできることをしたいという思いが、レナさんが動物看護師を目指す理由になっています。

「自分は何もできないけど、できるだけいつもがんばります。戦争の時、人はもちろんかわいそう。でも、動物はなぜ爆発があったのか、なぜ血の匂いがするのかわからない。とっても怖いと思います。人はわかるけど、動物はわからない。だから私たちは動物を助けないといけないと思います」

「ウクライナの動物を助けたい」日本でみつけた新たな夢が原動力に

侵攻から2年が過ぎた今もレナさんは爆発の光景や戦闘機の音を忘れることができません。熊本市で暮らしていても、家の上空を通過する飛行機やヘリコプターの音で恐怖を思い出すと言います。そして、家族は今もハルキウに住んでいます。

「母と電話をするときは、時々サイレンの音が後ろで聞こえます。『爆発がある』とも言っています。友達と電話したら『もう疲れた』と言っていました。苦しいです。わたしは避難したけど心はいつもウクライナにあるから。きついです」

あの時の恐怖や、自分だけが避難をしている罪悪感。押しつぶされそうな気持を明るくしてくれているのは、病院で出会った犬1匹、猫2匹です。口唇裂で生まれペットショップで売れなくなってしまっていた犬や、生まれても引き取り先のなかった子猫たちをレナさんが育てています。德田院長は、日に日に笑顔を見せるようになってきたレナさんの変化を心強く感じていました。

一緒に暮らす犬と猫はとっても甘えん坊。お世話をすることでレナさん自身が癒されている 一緒に暮らす犬と猫はとっても甘えん坊。お世話をすることでレナさん自身が癒されている

レナさんは動物看護師の国家資格の取得に向け、九州動物学院に入学することを目指して勉強しています。しかし入学するには日本語力が足りません。どんなに難しくてもがんばりたい。心に決めた新たな夢が、レナさんの原動力になっています。

「院長に感謝しています。動物看護士になったら、院長と一緒に日本の動物とウクライナの動物、いろいろな国の動物を助けたい」

「私が猫を失ったのは憎しみのせい」いま、伝えたいメッセージ

侵攻をきっかけにふるさとを離れたレナさん。およそ2年が経ち、終わりの見えないふるさとの戦争に加え、ハマス・イスラエルの武力衝突など別の国でも戦争が起きている現状に、怒りと虚しさがこみ上げてきます。

「一番は平和になってほしい。でも、ウクライナの戦争が止まったら他の国の戦争がはじまる。この世界に人がいる限りは、戦争は止まらないと思います。苦しいけど、本当のことだと思います」

レナさんはいま、わたしたちに伝えたいことがあるといいます。翻訳機を使って日本語でメッセージを書いてくれました。

「誰かを憎む前に、自分の心を見つめたほうがいいです。憎しみを世界中に広めないでください。憎しみはさらなる憎しみを生むだけです。私が友達の猫を失ったのは人々の憎しみのせいでした。そして私だけではありません。大きいことが、小さいことからはじまります」


レナさんはとてもやさしい人です。病院や自宅で取材をしていると動物たちが心を許し、身をゆだねて甘えているのが伝わってきました。そんなやさしいレナさんが、ふるさとを離れ"自分の人生を生きる"決断をするのには、どれだけ勇気が必要だっただろう...と想像しました。平和を願いながらも「戦争は止まらない」と現実を深く受け止めている言葉から、レナさんのようにやり場のない静かな怒りと共に生きている人が世界中に存在することを実感しました。

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