ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2年がたつ。親族を頼り、幼い長男と千葉県柏市に避難したウドべンコ・オルガさん(28)は当時妊娠約6カ月だった。松戸市内の病院で無事長女を出産。祖国に残った夫はテレビ電話で我が子の姿を見守った。夫が心配で一時は帰国を考えた。でも「今は子どものために日本にいたい」。描いていた未来を壊され、戦禍の記憶は封印。日本で一から歩んでいこうと、家事や育児に追われながら必死に生きる道を模索している。(千葉日報社デジタル編集部 佐藤瑞妃)
オルガさんは自治体の支援を受け長男ナザリー君(4)、日本で生まれた長女ボグダナちゃん(1歳半)と都営住宅に住んでいる。ボグダナちゃんはオルガさんとおもちゃで遊んだり散歩したりと元気いっぱい。ナザリー君は近所の幼稚園に通う。徐々に日本語も覚え、仲の良い友達もできた。
ロシアが侵攻してくる前、オルガさんは首都キーウでIT会社勤務の夫ヴァディムさん、ナザリー君との3人で暮らしていた。「(自身は)マーケティング関係の仕事をしていて、会社で良いポジションにいたの」。このまま昇進してキャリアを積み、おなかにいる新たな命とともに家族で幸せに暮らすと思っていた。
2年前の2月24日朝、ロシアが祖国への侵攻を始めた。この段階では「全く信じていなかった」。安否を心配した母からの電話にも「すぐ終わるよ」と返した。だが、昼には自宅からでも爆撃の音が聞こえ、情勢は想像以上に悪化していった。すぐに近くの地下シェルターを探し避難。寒い地下で防寒具を身につけて身を寄せ合った。親族の勧めもあり、子どものことを考えて渡日を決意。夫を残し息子の手を取って出国した。「これからどうなるんだろう」と道中も恐怖と不安は続いていた。
身重のため最大の懸念は安全に出産できるかどうかだった。ポーランドに1週間ほど滞在し、エコー写真を撮影して女の子と判明。喜びと不安を抱えながらオランダと韓国を経由して2022年3月、柏市にたどり着き、隣の松戸市にある病院に通い始めた。オルガさんは「柏市が病院を探してくれた。医師は親切で、看護師が少し英語を話せたので心強かった」と振り返る。
同市によると、この病院では出産費用の支払いが経済的に困難な人を支援する「入院助産制度」を適用できた。市は必要な時に保健師がサポートできる体制を整えたほか、ナザリー君が無償で保育園へ通えるよう手配した。
オルガさんは柏市で民間企業が提供する住宅に住んでいた。ナザリー君が保育園に行っている間は1人きり。テレビを見ても交流サイト(SNS)を見てもウクライナのニュースが流れていて、先の見えない現実を考えてしまう。ネガティブな感情を落ち着かせようと「とにかく息子の子育てと娘の出産のことに集中する」と言い聞かせた。
いよいよ出産間近となった同年7月28日朝、オルガさんはいつも通り病院へ。検診で医師から「出産は数日以内だと思うけど、今日じゃない」と説明された。ところが自宅に戻ると徐々に体がつらくなり、経験から「病院に戻った方がいいかも」と直感。タクシーを手配したが、自宅で待っている間に破水した。「あ、産まれる」。午後6時ごろ病院に到着し、40分後に元気な女の子を出産した。早速夫に電話して、スマートフォンの画面越しに我が子を見せた。「出産直後だったから当時のことはよく覚えていないけれど、夫がとてもうれしそうだったことは覚えている」。夫と相談して愛する子の名は「ボグダナ」と決めた。ウクライナ語で「神様からの贈り物」という意味だ。
報道を見る度に不安や悲しみに押しつぶされそうになるため「今はウクライナのニュースを見ないようにしている」。自身が体験した故郷の被害は「いろんな人から聞かれるけれど、本当によく覚えていない。たぶん、思い出さないようにしているんだと思う」と語る。
「息子は日本に来た理由をまだ分かっていないと思う。トラウマになってないと良いけれど...」
現在、夫は会社勤めだが、自身の父は徴兵で戦地におり、負傷して入院したこともある。同僚に死者や重傷者がいる状況でも、父は常に「大丈夫だ。心配するな」と言葉をかけてくれる。母は避難せずにキーウにとどまり、父の帰りを待っている。
オルガさんは祖国に残した家族を思うと心配が絶えない。ロシアに対して怒りもあるが、今は遠く離れた日本で、1人で子ども2人を育てなければならない。「たとえウクライナで良い仕事に就き、良い暮らしをしていたとしても、新しい環境で一から始めなきゃいけない。日本に限らず他国に避難した人はみんなそう。とても大変」と打ち明ける。
柏市の住宅は1年の期限付きだった。新しい住まいを求めて昨年6月に都内に引っ越したが、保育園の空きがなく、育児と両立できる仕事先を見つけることは難しい。周囲に英語ができる人が少なく、新しい友人を作るのも苦労する。言語や文化の違う暮らしに夫はたびたび気にかけてくれ、親族や同じ境遇のウクライナ避難民など仲間もいるが、心細さは拭えない。
それでも「戦況は良くならないし、もっと悪くなると思う。ウクライナに帰るのは安全じゃない。日本にいようと思う」と決意を語る。現在の悩みは子育ての問題だ。
子どもは祖国よりも日本にいる時間が長い。ボグダナちゃんは父である夫と一度も会えていない。ナザリー君は幼稚園生活を通し日本語を学んでおり、来年から都内の小学校に通う。「息子は英語もできる。ウクライナ語も教えているけれど、一度に複数の言語を習得するのは難しい。娘は日本で生まれ育つことになるから、日本語しか話せなくなるかもしれない。日本にしばらく住んだ後にウクライナに戻っても2人とも勉強についていけないかもしれない」
先のことは「正直分からない」。今は日本で暮らしていくために、オルガさんも言語の壁を突破しようと勉強を続けている。週に1回オンラインで日本語の授業を受け、簡単な単語は理解できるようになった。スーパーでの買い物も、来日当初は日本語だらけで戸惑ったが、今は店員と簡単なやり取りもできる。取材時には「こんにちは。よろしくお願いします」と日本語であいさつしてくれた。今年の目標は「娘を保育園に預けて仕事を見つけること」。まずは生計を立てて、生活を安定させたい。
ウクライナ戦争の最前線では今もなお一進一退の状況が続いている。日本に住む私たちができることは何か。この問い掛けに、オルガさんはボグダナちゃんを抱き、考えながら話してくれた。「ウクライナとロシアの戦いは長引くと思う。(支援を続けることが)疲れるのも分かる。でも世界各国は経済的に依存し合っていて、日本にも影響はある。遠い国かもしれないけれど、ウクライナで起きていることは忘れないでほしい」
千葉日報社
デジタル編集部 佐藤瑞妃
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