大学生から志願兵へ 軍歴3カ月で「友人たちが腕の中で死んだ」

ジェレミー・ボウエン、BBCニュース、ウクライナ・バフムート

19歳のマクシム・ルツィクは、ロシアのウクライナ侵攻が始まって間もないころと比べ、大人に見えるし、まじめに見える。侵攻開始直後に初めて会った時、彼は大学での学業を中断して、軍に志願したばかりだった(文中敬称略)。(制作:BBC ニュース)

マクシム・ルツィクが大学生から志願兵になってもうすぐ3カ月になる マクシム・ルツィクが大学生から志願兵になってもうすぐ3カ月になる

先週彼は東部ドンバスの前線から大変な思いをして、後方へ移動していた。砲撃を避けるため夜に裏道を通り、自分の部隊用の補給物資を取りに行くためだった。そしてその際に私と再会し、ロシア軍との戦いについて話してくれた。

私たちが会ったバフムトは、ロシアの射程圏にしっかり含まれる小さな町だ。いくつかの建物は破壊されていて、民間人はほとんどいない。

3週間前からマクシムと仲間たちは、「セルベル」と呼ぶ拠点を維持しようと戦っていた。「セルベル」とは兵士たちが飼い始めた小さい犬の名前だ。ロシア軍に破壊され、やがて制圧されたルビジュネの街でのことだ。

「あそこは、まるで地獄でした。いい防衛拠点がまったくなかった。僕たちは塹壕(ざんごう)にいたり、時にはソ連時代の防空壕(ぼうくうごう)にいたりした。消防署にいたこともあった」

マクシムたちは1日に25回は、戦車の標的になったという。

「あそこで仲間の1人が殺されたし、10人か15人が重傷を負いました」


3月初めに志願

夏はもうそこまできている。ウクライナの豊かな土地からは生命があふれだしているが、ドンバスでは激戦で大勢が死んでいる。ロシアの将軍たちは、首都キーウ周辺と第2の都市ハルキウでの敗退から学んでいる。

3月の敗退を経て、ロシアは4月と5月、最もなじみ深いウクライナ東部の細長い地域に、自軍の部隊と、恐ろしいまでの火力を集中させた。今では、ドンバス地方を構成する2つ州のうちルハンスク州から、ウクライナ軍を追い出しつつある。ドンバスのもう1つの州、ドネツク州の方がウクライナの勢力は強いものの、そこでもロシアの砲撃はすでに始まっている。

生物学専攻の大学生だったマクシムに、最初に会ったのは3月初めのことだ。友人で経済学専攻のドミトロ・キシレンコ(18)と一緒に、志願兵になるところを取材した。ロシアの軍事侵攻が始まって間もないころだ。

マクシム(一番左)とドミトロ(一番右)(3月4日、キーウ) マクシム(一番左)とドミトロ(一番右)(3月4日、キーウ)

あの時、2人は厳しい寒さの中、受付センターでほかの同じような若者たちと並んでいた。訓練所へ向かうバスを待つ彼らは、音楽フェスティバルとかキャンプへ向かう若者グループに見えた。支給されたばかりの、古いカラシニコフ銃を手にしているのを除けば。

18歳とか19歳の若者が、青年特有の無敵感をみなぎらせながら、欧州での戦争に向かっていく姿だった。20世紀の凄惨(せいさん)な時代にも見られた、若者が戦場へと向かう光景は、感動的でもあり沈痛でもあり、まったくただごとではなかった。これは大戦争になるという、前触れでもあった。

3月初めのあのころ、マクシムもドミトロも、そしてウクライナのすべて人も、新しい現実に適応しようとしている最中だった。戦争に巻き込まれた人間はどこでも、常にそうだ。最初の衝撃が過ぎると、以前の暮らし方は全く新しい現実を前に薄れて、そしてやがて新しい生活習慣が圧倒的なものとして定着する。

出会って間もなく、ごく短期間の訓練を経て任務に就いたころのマクシムやドミトロと話した時、2人は戦争で何もかもが変わっていくと言っていた。あのころすでにマクシムは、実年齢に不釣り合いなほど老成した口ぶりだった。

「誰も妻や彼女や子供に会えない。侵略前にしていた仕事もできない。でも、みんな理解しています。今はもっと大事な使命があるんだと。なので僕たちはこの後も、仕事を続けるし、子供を育てる。妻や彼女に何度もキスする。ただし、戦争が終わったら」

2月24日にロシアがウクライナに侵攻した時、2人の暮らし、ウクライナ人全員の暮らしが、完全にひっくり返されてしまった。そして、ウクライナ人ではない私たち全員の暮らしも同様だ。

ロシアは戦果を挙げて前進している。しかし、戦い続けるというマクシムの決意は鉄のように固い。首都キーウの防衛戦に加わったドミトロは、首都に残っている。学生だった2人には、ドンバスで戦うことは義務ではない。

それぞれの道を行くマクシム(左)とドミトロ それぞれの道を行くマクシム(左)とドミトロ

「守らなくてはならない以上、自分たちには塹壕で凍える用意があります。聴力を失う用意もある。そこで死ぬ覚悟だって、できています。でも、自分たちはできる限りの時間稼ぎをします。文明社会全体がロシアを、非軍事的な方法で倒すために必要な時間を、自分たちが勝ち取るんです」

ウラジーミル・プーチンのロシアと何かしら折り合って、そのために領土の一部を交換すべきだ――というようなことを言う、自称「ウクライナの味方」を、マクシムは相手にしない。

「プーチン相手に、そんな取引はあり得ないと思う。プーチンは、銃弾とか流血とか戦争犯罪とか、そういう言葉しか理解しないから。領土のここを渡せば戦争が終わるなど、そんなのはあり得ない」

戦争で自分がどう変わっていると思うか、マクシムに尋ねてみた。今年初めのころの彼は、コンサートを企画したり、キーウで若者の政治活動に参加したりしていたのだ。

「今になっても、なかなか正確には答えられません。自分の友人が何人か、自分の腕の中で死んでいった。そのことを理解するのはとても難しい。その事実を抱えて生きていくのは、とても大変です。(中略)自分たちがルビジュネを離れた時、この工場のため、ルハンスク州の主要都市のための戦いに負けたのだと、すんなり理解するのは大変だった」

「光と闇の戦い」

3月のころ、マクシムは自分がいったい軍服姿で何をしているのか、両親に正確には話していないとふざけていた。

「今では両親は、自分を完全に理解しています。できる限り、電話するようにしています。ママは自分と仲間のために、制服を少し送ってくれました」

父親は地元スーミで、地域防衛部隊に入ろうとしたのだという。「でも65歳だから、戦うには年を取りすぎている。入隊を断られて、父親は僕に電話してきました。『マクシム、父さんは君の部隊に入れるかな?』って」

「両親は、理解してくれています。僕を精神的にも、経済的にも支えてくれる」

ロシアのドンバス大攻勢でさらに領土を失うだろうと、ウクライナが覚悟している様子が、ドンバスのあちこちでうかがえる。新しい塹壕の列が掘られているのは、後方だ。高額で巨大なトラクターの車列は西へ西へと進んでいる。ロシアの火力に見合うため、あるいは撃ち勝つために必要な、最先端の重火器は現地入りしつつあるが、侵略者を後退させるには間に合っていない。

大学生だったマクシムは、今では前線の兵士だ。自分にとって一世一代の任務に就いていると、確信している。

「自分たちは全世界の自由のため、全文明世界の自由のために戦っている。これがウクライナとロシアの戦争だと思っている人がいるとしたら、それは違う。これは世界全体とロシアの間の、光と闇の戦いなんです」

前線の兵士となったマクシム 前線の兵士となったマクシム

※本記事は下記出典記事の公開日時点での情報を元に作成しています。最新の情報はBBCのサイトでご確認ください。

■出典記事(英語、BBC.comのサイトに遷移します)
Ukraine war student-turned-soldier: 'Friends die in your arms'
https://www.bbc.com/news/world-europe-61624557

■出典記事(日本語、BBC.jpのサイトに遷移します)
大学生から志願兵へ 軍歴3カ月で「友人たちが腕の中で死んだ」
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-61631053

出典記事の公開日:2022年5月31日

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