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「意識が戻ったら足がなかった」戦火に見舞われたウクライナ兵士の今 #平和を願って

手足を失ったウクライナ兵が汗流すキーウのサッカー場

毎週金曜の夕方、ウクライナの首都キーウの中心にある小さなサッカーグラウンドに明かりがともる。声を掛け合いながらボール回しやシュートの練習に汗を流すのは退役軍人たちだ。

ウクライナの首都キーウのサッカー場で練習に参加する負傷兵のエウヘン・ナザレンコさん(2023年8月31日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP ウクライナの首都キーウのサッカー場で練習に参加する負傷兵のエウヘン・ナザレンコさん(2023年8月31日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP

ゴールキーパーのエウヘン・ナザレンコさん(31)は、ウオーミングアップをしながら笑顔を見せた。彼には左腕がない。その近くで、オレグさん(46)は声をあげながら腕立て伏せを繰り返す。片足のない彼はバランスを崩した。薄暗い人工芝のピッチの脇には、義足が立てかけられている。

2人ともウクライナのために戦い、手足を失った。

元警察官で2人の子を持つオレグさんは第46空中強襲旅団の将校だった。同旅団は、南部ロボティネでの反攻で主導的な役割を果たしていた。

2022年12月、オレグさんは東部バフムート近くでの戦闘中、7メートルほどの至近距離からロシア兵に撃たれたが一命を取り留めた。

「(その兵士は)おじけづいたんだ」と、松葉づえを握り、顔に汗を浮かべながらオレグさんは振り返る。「やつがもしライフルをもっとしっかり構えていたら、胸の真ん中あたりに命中していただろうし、自分は今ここでプレーしていないよ」

手足切断の悲劇 「多くの人は精神的に崩壊」

ウクライナの首都キーウのサッカー場で練習に参加する負傷兵のオレグさん(2023年8月31日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP ウクライナの首都キーウのサッカー場で練習に参加する負傷兵のオレグさん(2023年8月31日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP

「手足を失った多くの人は精神的に崩壊してしまう。この恐ろしい悲劇に耐えられず、ドラッグなどに手を染めるのをこの目で見てきた」とオレグさんは言う。

「これに耐えるのは簡単なことじゃない。本当なんだ」

彼自身も、自分の足が切断されたことを知った時、強いショックを受けた。

「モルヒネを打たれた後、意識が戻った時のことを今でも覚えている。保温ブランケットを持ち上げたら、そこには足がなかった。人生が終わったような気がした」

「でも、まだここにいるんだ」と、オレグさんは笑みを浮かべた。

「人生は終わらない」左腕を失ったゴールキーパー

ウクライナの首都キーウのサッカー場でボールを追う兵士(2023年8月31日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP ウクライナの首都キーウのサッカー場でボールを追う兵士(2023年8月31日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP

ゴールキーパーのナザレンコさんは5人制の試合でエネルギッシュに動き回っていた。汗でびっしょりぬれたTシャツの左袖は、腕が通されることなく垂れ下がっている。

軍曹だったナザレンコさんは、無人偵察機の操縦担当だった。2022年5月、南部ヘルソン州で迫撃砲の誘導に当たっていた時、10メートルほど先にあった迫撃砲の砲弾が誤爆し、左腕を失った。

キーウに戻ったナザレンコさんは、青春時代に情熱を注いだサッカーを再開する。

「人生は終わらない。家でじっとしている必要はないということを、負傷した他の仲間たちに示したかった」と、試合の合間に一息ついたナザレンコさんは打ち明けた。

現在は片手で無人機を操縦できるようになり、義手を手に入れたらまた従軍したいと考えている。

「私たちは生き続ける」右脚を切断した兵士が車椅子に頼らない理由

ウクライナの首都キーウのサッカー場の更衣室で練習の準備をする負傷兵のオレクサンドル・マルチェフスキーさん(2023年8月31日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP ウクライナの首都キーウのサッカー場の更衣室で練習の準備をする負傷兵のオレクサンドル・マルチェフスキーさん(2023年8月31日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP

松葉づえをつきながらパワフルで俊敏なプレーを見せるオレクサンドル・マルチェフスキーさん(31)は、残された左足で次々とゴールを決める。

2022年5月に北東部のハルキウ近郊で砲撃を受けて負傷し、右の膝から下を切断した。

「僕には妻と9歳の息子がいる。車椅子に座りっぱなしは嫌なんだ。彼らに面倒を見てもらいたくないからね」

脚を失ったことが精神的に影響することは「まったくない」とマルチェフスキーさんは言う。

「誰に強制されたわけでもなく、(戦争の)初期に志願した。リスクがあることはわかっていた。私たちは生き続ける。ただそれだけなんだ」

東部アウディーイウカ近郊で砲撃により脚を失ったウォロディミル・サムスさん(42)は、障害をプラスに変えようとしている。

ウクライナの首都キーウのサッカー場でボールを蹴る負傷兵のウォロディミル・サムスさん(2023年8月31日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP ウクライナの首都キーウのサッカー場でボールを蹴る負傷兵のウォロディミル・サムスさん(2023年8月31日撮影)。(c)Roman PILIPEY / AFP

アウディーイウカは、ロシア軍により町の大部分が破壊された。サムスさんは早朝に負傷したが、激しい砲撃のため軍の救急隊員による治療はすぐには受けられず、病院に到着したのはその日の夕刻だった。

以前からサッカーをしていたサムスさんにとって片足でプレーをすることは「まったく新しい感覚」だという。

「歩き方を学ぶ子どもと同じように、私たちは再びサッカーをプレーすることを学んでいるんだ」


「誰かがやらなければ」 義足で地雷除去続ける警察官

ウクライナ・ハルキウ州で作業に当たる警察の地雷除去班(2023年10月24日撮影)。(c)Sergey BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウ州で作業に当たる警察の地雷除去班(2023年10月24日撮影)。(c)Sergey BOBOK / AFP

ウクライナで爆発物処理を専門とする警察官のワレリー・オヌリさん(52)は一昨年、地雷を踏んで右脚の膝から下を失った。

ウクライナに侵攻したロシア軍は、一時的に支配していた地域から撤退する際に無数の地雷を残しており、その多くには処理班を殺害するためのわなが仕掛けられている。ウクライナは、その地雷を除去するという果てしない課題を抱えている。

ウクライナ・ハルキウ州で行われた地雷の爆破処理(2023年10月24日撮影)。(c) Sergey BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウ州で行われた地雷の爆破処理(2023年10月24日撮影)。(c) Sergey BOBOK / AFP

東部ドニプロペトロウシク州出身のオヌリさんは2022年11月、南部ヘルソン州で狭い場所に設置された対戦車地雷の信管を外す準備をしていた時に対人地雷を踏み、負傷した。地雷は砂利や破片の多い場所に隠されていたため、地雷の存在に気づけなかった。

「地雷の下にはブービートラップ(殺傷能力のあるわな)があることが多い。特に(侵攻)初期には、処理中に命を落とす仲間もいた」とオヌリさんは振り返った。

「今では当然、やり方を少し変えている。例えば、複数の地雷が一列に並んでいれば、少なくともそのうちの幾つかはブービートラップだと分かっているから」

その後、オヌリさんは義足を装着し、地雷除去の仕事に復帰した。

ウクライナ・ハルキウ州で地雷探知を行う警察官(2023年10月24日撮影)。(c)Sergey BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウ州で地雷探知を行う警察官(2023年10月24日撮影)。(c)Sergey BOBOK / AFP

ハルキウ州の農地で、防弾チョッキとヘルメット、手袋で身をかためたオヌリさんは、先のとがった白い棒で地面を何度も突き刺し、埋められた地雷を探す。見当をつけた場所の土を手で慎重に取り除くと、対戦車地雷が現れた。

「誰かがやらなければ」とオヌリさんは言う。彼は迷彩柄のズボンの裾をたぐり上げて義肢を見せた。

「仲間を見捨てるわけにはいかない」鳴り響く地雷除去の音

ウクライナ・ハルキウ州で地雷除去を行う警察官のアンドリー・イルキウさん(2023年10月24日撮影)。(c)Sergey BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウ州で地雷除去を行う警察官のアンドリー・イルキウさん(2023年10月24日撮影)。(c)Sergey BOBOK / AFP

ハルキウ州でオヌリさんと一緒に作業に当たっているアンドリー・イルキウさん(37)も、2022年9月、同州内で地雷除去中に負傷し、左脚を失った。

移動に若干支障があると2人は言うが、義足を見せなければ、他の作業員と目立った違いはない。

「私のモチベーションは、領土を安全なものにし、できるだけ早く通常の生活に戻れるようにすること」とイルキウさんは静かに語った。

2人が所属する処理班は、同州のキャベツ畑で地雷除去を進めており、回収された対戦車地雷が一か所に集められている。作業員が地雷を遠隔で爆破する音が鳴り響いた。

地雷の爆発で脚を失っても同じ業務に戻ったオヌリさんは、「自分は人生でこの仕事ばかりやってきた。好きなんだ。それに仲間を見捨てるわけにはいかない」と笑顔で語った。

取材:2023年8、9、10月
(c)AFP/Emmanuel PEUCHOT with Mykola ZAVGORODNIY /
Oleksandr YANOVSKY/ Florent VERGNES

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