1945年3月に始まった「沖縄戦」は、6月23日組織的戦闘が終結しました。住民を巻き込んだ激しい地上戦となり、多くの命が失われました。
沖縄戦終結後、日本から切り離され米軍の軍政下におかれました。米軍は、沖縄を軍事拠点とするため土地を接収して基地の整備・拡張を進めました。
1945年3月に始まった沖縄戦は6月23日に日本軍の牛島満司令官の自決により、組織的な戦闘が終わりました。
沖縄戦の特徴は、住民を巻き添えにした激しい地上戦があったことです。これにより老人や子どもを含む多くの住民が戦闘に巻き込まれました。
米軍側を含む犠牲者は約20万人で、県民約12万2千人(当時の人口の4人に1人)の命が失われたのです。その後、生き残った住民たちは米軍によって各地に設置された収容所に集められました。
米軍に捕らえられ、収容所に入るために並んでいる人々(米軍撮影、沖縄県公文書館所蔵)極東最大の空軍基地としてベトナム戦争(60~70年代)時に米軍の出撃拠点となった嘉手納基地(嘉手納町など)は、米軍が4月に沖縄本島に上陸した後、旧日本軍の飛行場を奪い、日本本土爆撃のために整備しました。
住民が収容されている間に米軍はさらに、複数の軍事施設を建設しました。そのうちの一つが、「世界一危険な基地」と言われる「普天間飛行場」です。
建設工事中の普天間飛行場。背後に宜野湾のシンボルだったリュウキュウマツの並木道が見える=1945年6月(米軍撮影、沖縄県公文書館所蔵)収容所から解放されて人々が戦前から暮らしていた土地に戻り始めるのは同年10月下旬からでした。
しかし、多くの住民が目の当たりにした故郷は、戦火の被害、あるいは米軍施設の建設によって変わり果てた姿でした。
1996年、日米両政府は普天間飛行場の返還に合意しましたが、新たな基地を県内に建設することが条件となったことなどから、20年以上を経た今なお返還されていません。
軍用機騒音が日常的にとどろき、墜落事故も起きるなど、基地をめぐるトラブルは後を絶ちません。
制作:琉球新報 ・ Yahoo!ニュース
取材:2017年5月
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