長崎と原爆投下

原爆の投下から74年。長崎国際テレビでは、長年にわたって原爆投下と被爆体験の継承についての報道を続けてきました。ここでは、長崎国際テレビの協力でこれまで放送してきた原爆の特集番組をあらためてご覧いただきます。

長崎への原爆投下とは

1945年8月9日、長崎に原爆が投下されました。広島に投下されたウラニウム型原爆の1.5倍の威力。南北に広がった長崎市街地を衝撃と熱風が襲ったのです。あの日何が起きたのか、人々に何をもたらしたのか、NIB 長崎国際テレビの中島彩アナウンサーがお伝えします。この動画は、NIBとYahoo!ニュースの共同取材で制作したものです。

長崎原爆資料館

「長崎を最後の被爆地に」という願いが込められた「長崎原爆資料館」は、入館するとまず、投下前の長崎の姿を伝えていて、何が失われたのかを知ることができます。そして、衝撃と熱風が引き起こした過酷な実態を、ねじ曲がった鉄塔や瓦礫、焼けて溶けたガラスなどの実物から証言の動画や体験者が描いた絵などの展示で多角的に伝えています。NIB 長崎国際テレビの中島彩アナウンサーによるリポートでお伝えします。NIBとYahoo!ニュースの共同制作です。

被爆資料 実相を後世へ〜進む劣化 学芸員の模索〜
2017年8月7日放送

原爆投下から70年以上が経過して、長崎原爆資料館が所蔵する貴重な展示資料の劣化が進んでいます。
被爆体験者の高齢化が進む中、被爆者や遺族の方々から寄贈された様々な品を守り、そうしたモノによって原爆のもたらした災禍を未来へつなぎ続けることが大きな課題になっています。
長崎原爆資料館の奥野正太郎さんと弦本美菜子さんという若い二人の学芸員が、模索を続けながら、どう保存しどう活用すれば伝わるのか、懸命に取り組む姿を描いたものです。

核廃絶の原動力は"願い"〜平和への願い 田中熙巳さん〜
2018年8月9日放送

爆心地から3キロあまりのところで13歳の時に被爆した田中 熙巳さんは、今埼玉県に住みながら、核兵器廃絶と平和のための活動を続けています。
戦後、しばらくは被爆者としての意識があまりなく、自らの体験を語ることがなかったという田中さんですが、1977年の原水爆禁止統一世界大会に参加して1万人の人々が自分の被爆体験の語りを受け止めてくれたことを転機に、被爆者が話す機会を増やすのが自分の使命だと思うようになりました。80歳半ばを過ぎて、毎年開催される「平和のための埼玉の戦争展」の実行委員長や日本原水爆被害者団体協議会の代表委員として平和運動を推し進める田中さんの日々を特集で取材しました。

二重被爆語る4世の決意〜紙芝居で「思い伝えたい」〜
2018年8月10日放送

9年前に亡くなった長崎市の山口疆さんは、長崎から出張した広島で被爆し、その後長崎へ帰って被爆しました。いわゆる二重被爆をしたのです。ご本人は二度目の被爆の時「まるであのキノコ雲に追いかけられているみたいだ」とつぶやいたそうです。その後、ひ孫の原田晋之介君が生まれた時「次の時代の命のために我々は戦わなきゃいけない」と平和への強い決意を話していました。今、その晋之介君は、ひいおじいちゃんの体験を「紙芝居」にして伝え続ける活動をしています。晋之介君はひいおじいちゃんの思い、そして語り部として活動を続ける母、小鈴さん(疆さんの孫)の思いも受け継いでいるのです。被爆者が高齢となる中、戦争を知らない世代がどう被爆体験を伝えていけるのか、お二人の活動は大きなヒントになりそうです。

イタリアの平和特派員
2019年5月8日放送

遠くイタリアで原爆の悲惨と平和の大切さを訴え続ける取り組みを取材しました。
取り組まれていらっしゃるのは、長崎出身の豊島文さん(55)とマッシモ・ベルサーニさん(61)ご夫婦です。イタリア北部のミラノから鉄道で1時間のところにあるピアチェンツァに暮らし、原爆投下の事実を、そして平和の大切さを子どもたちに伝える授業に2006年から続けています。文さん、マッシモさんの話を聞いた子どもたちは、長崎、広島への原爆投下とそのことがもたらしことを知り、平和への強い願いを持つようになりました。そして、イタリアの子どもたちが作った折り鶴が長崎へ届けられるようにもなりました。番組では、平和を介した絆が遠く離れた二つの国で育まれていることを伝えます。

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