太平洋戦争の末期、旧陸軍の特攻基地が置かれた鹿児島県南九州市知覧町。この町には未来ある若者が命をささげ散っていった過去が多く残されています。そして今、こうした記憶を後世に遺そうと活動する若者たちがいます。彼らが、伝えたいこととは――。
薩摩の小京都とも呼ばれる知覧町は人口約1万3000人。名産はお茶で、今は広大な茶畑が広がります。しかし、約80年前、ここは若き特攻隊員たちが戦地に飛び立つ場所でした。旧陸軍の特攻隊員の出撃地であった「知覧基地」は、沖縄戦で亡くなった1036人のうち439人が出撃しました。
基地の跡地に1975年に建てられたのが、知覧特攻平和会館です。陸軍の特攻隊員の遺影や遺品を展示しています。ここで学芸員として働く羽場恵理子さんは27歳。最年少の職員で、主に企画展を担当しています。
2021年秋、羽場さんが企画したのは「米軍が見たカミカゼ」。平和会館では2018年からアメリカの公文書館と協力し、米側の資料の調査を始めました。そこで入手した資料を平和会館で展示しようというものです。
羽場さんは語ります。「知覧特攻平和会館は開館当初から特攻隊員の遺品や関係者の証言など日本側からの資料を集めてきました。企画展ではアメリカ側の資料を紹介することで双方の視点で特攻について触れることができたと思います」
日本のために命を投げ出した特攻隊員がいたことだけでなく、突撃した先にも母国のために戦ったアメリカ兵士の命があったことを忘れてはならない――。羽場さんが訴えたかったことでした。
父親の影響で日本史が好きだった羽場さんは埼玉の出身。大学で史学を専攻し、卒業後は学芸員を志し、縁もゆかりもない鹿児島に就職しました。
「知覧に来た時、一面に茶畑が広がっていて、その風景がすごく印象的でした。その場所が77年前は飛行場で特攻隊員が出撃したという歴史があった。これは語り継いでいかないといけないと思いました」
特攻の"聖地"に足を踏み入れた時の羽場さんの第一印象です。学芸員になって3年。さまざまな企画展を担当してきました。羽場さんが伝えたいことを聞くと――。
「不安定な社会情勢の中で現在につながっている過去の歴史を知ることにより、平和とは何かや、命の尊さを考えるきっかけになります。その機会を提供できるのが平和会館だと思います。一人ひとりの遺書や遺品などを通して気づきをもらい、そこから特攻作戦や戦争のむなしさ、平和のありがたさを改めて考えてもらえたらと思います」
ネット世代の羽場さんも加わり、平和会館では実際に来館したような体験ができるオンラインミュージアムを2021年に開設するなど、新たな取り組みも始めました。羽場さんは「人前で話すのは苦手」と言いますが、今は来館者の前で初のギャラリートークを行うなど学芸員としての幅を広げています。
知覧特攻平和会館のすぐ近くにある「知覧茶屋」。鹿児島の郷土料理や釜めしが楽しめると、地元客だけでなく観光客からも人気です。店主の鳥濱拳大さんは30歳。広島でサラリーマンとして働いていましたが、4年前に故郷の知覧町に戻ってきました。
拳大さんの曾祖母は出撃前の特攻隊員たちに母親のように慕われた鳥濱トメさん(享年89)です。トメさんは太平洋戦争末期、基地の近くで食堂を営み、そこに温もりを求めて集まった大勢の隊員に母親のように接しました。こうしたトメさんの逸話に感銘を受けた作家の石原慎太郎さんは東京都知事時代、トメさんをモデルにした映画を企画し、自ら脚本を執筆しました。
拳大さんは2021年に亡くなったトメさんの孫にあたる父親の明久さん(享年60)の遺志を継ぎ、トメさんの逸話を伝える語り部として活動しています。その一つは、この店にもあります。トメさんが隊員たちに振る舞ったと伝えられる「玉子丼」です。当時の味を再現し、鹿児島らしい甘い出汁が特徴です。
「トメさんが、隊員たちにごちそうを食べさせたいとの思いから当時貴重だった玉子を使って少し甘めに作った玉子丼です。隊員たちもこんなごちそうを自分たちのために出してくれたということに感謝と尊敬の意味を込めて『おばちゃん』と言っていたのだと思う」
知覧茶屋から車で約5分のところに、トメさんと隊員たちの逸話が多く残されている「ホタル館富屋食堂」があります。トメさんが経営していた食堂を復元した施設で、隊員たちの遺書や遺品など約100点がエピソードとともに展示されています。2001年に父親の明久さんとトメさんの娘の赤羽礼子さんによって建てられました。
拳大さんはこの場所で来館者に向けた講話に力を入れています。2022年7月、岡山の中学校から修学旅行生が訪れました。講話では相手の年代によって話し方やエピソードを変えているそうです。講話を聴いた生徒は「特攻の写真を見たら戦争の怖さを感じる。トメさんは一番信頼できる人で、隊員たちにとって大きい存在だったと思う」。こう感想を話しました。
拳大さんがこれまでに行った講話は回を重ね、100回を超えました。そんな拳大さんが今、新たな課題にぶつかっています。
「特攻の話は知覧だけじゃない。史実を伝えていくうえで、戦争や日本の歴史についても勉強していきたい」
拳大さんがよく訪れる場所があります。そこは特攻隊員たちが最期に見た知覧の景色が一望できる場所です。
語り部としての人生はまだ始まったばかり。「伝えたいこと、それは自分が悩んだ時や行き詰った時に知覧の歴史を思い出してほしい。先人たちの思いや決意にふれて『強く生きよう』と感じてもらえればと思います」
羽場恵理子さんと鳥濱拳大さん。特攻の地、知覧から戦争の記憶を語り継ぐために活動する2人の若者の挑戦はこれからも続きます(※記事に登場する方々の年齢は2022年7月時点です)。
制作:鹿児島読売テレビ
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