幻の特攻基地「万世飛行場」語り部のバトン、「よろずよ」に込める永遠の思い

「万世」で撮られた1枚の写真

鹿児島県南さつま市。日本三大砂丘と呼ばれ夕陽の美しさで知られる吹上浜のすぐ近く、東シナ海を一望するこの地に大戦末期、陸軍最後の特攻基地「万世(ばんせい)飛行場」が建設されました。戦局の激化により突貫工事で作られたため滑走路は短く、終戦間際のわずか4か月しか使われなかったため、「幻の特攻基地」と呼ばれています。ここから201人の若者が特攻兵士として沖縄へ旅立ち、命を落としました。

基地の跡地には1993年、「万世特攻平和祈念館」が南さつま市により建てられました。この地を拠点とした飛行第66戦隊の元パイロット、苗村七郎さん(2012年に91歳で死去)が1960年に万世を再訪し、飛行場の風化を防ごうと尽力しました。年間の来館数者は1万3,000~4,000人(コロナ禍以前の2019年当時)で、同じ鹿児島県内にある知覧特攻平和会館の約40万人に比べると少ないですが、1枚の写真で「万世」の名は知られるようになりました。

「子犬を抱いた少年兵」――。その写真は出撃前にもかかわらず、穏やかな表情で子犬を抱いた少年兵と特攻の仲間たちを撮影したものです。少年兵は群馬県桐生市出身の荒木幸雄さん。17歳で戦死し、平和祈念館には父親に宛てた遺書と遺品の懐中時計が残されています。

当時、特攻部隊が集結する基地は軍の司令部が置かれた知覧に指定していたため、写真は長年、知覧基地で撮られたものとされてきました。しかし、隊員の身元や遺書、そして手紙の投函地区から平和祈念館のすぐ裏手、現在は薩南病院がある場所で撮られたことがわかりました。

これを明らかにしたのが長年、平和祈念館で学芸員として働く小屋敷茂さん(74)です。

来館者をガイドをする小屋敷茂さん 来館者をガイドをする小屋敷茂さん

挿絵に込める若い世代への思い

小屋敷さんは元会社員。退職後、生来の歴史好きから、地元・南さつま市の歴史探訪セミナーに応募し、2008年に平和祈念館に採用されました。

「特攻隊の史実を掘り下げ、伝えたい」――。小屋敷さんが力を入れるのが、来館者へのガイドや講話活動です。平和祈念館の正面には特攻隊員の姿が彫られた慰霊碑があります。小屋敷さんのガイドは、この慰霊碑の説明から始まります。「この特攻隊員は東の方を向いています。自分の故郷、そして散華して会おうと誓った場所、靖国を見ているんですよね」

南九州の地から東を向く特攻隊員が彫られた慰霊碑 南九州の地から東を向く特攻隊員が彫られた慰霊碑

小屋敷さんは来年、特攻隊員たちの遺書や遺族による慰霊の言葉などをまとめた書籍を発行する準備をしています。タイトルは「よろずよに」。特攻の地「万世(ばんせい)」は「よろずよ」とも読み、隊員の思いや特攻の史実を未来に、そして若い世代に伝えたいという願いが込められています。そのため、小屋敷さんは遺書や隊員たちのエピソードを自ら挿絵に描いています。その中に飛行場の前で泣き崩れる女性の挿絵がありました。

「144振武隊の平原太郎さんのお母さんが静岡県の富士飛行場に面会に来た時、(平原さんが)面会を断って出撃されたというイメージで描いています」。小屋敷さんは挿絵を描く一筆一筆にも思いを込めます。

新人学芸員に芽生えた使命感

2022年3月、小屋敷さんの息子世代の新人学芸員が平和祈念館に入職しました。楮畑耕一さん(40)です。地元・南さつま市の出身で、これまで同市内の別の博物館で学芸員として働いていました。

特攻に関する戦跡が多く残る南九州に生まれ、高校時代から戦争の歴史に興味があった楮畑さんは、特攻隊員について「強制とか、命令されて行った」と考えていました。それが、小屋敷さんの講話を聞き、隊員一人ひとりの手紙や遺書に触れるにつれて、「命令」の奥底にある隊員たちの「思い」に考えが至るようになりました。拒むことができない命令の下、「国=家族だと思わざるを得なくて出撃し、行かれたのではないか」。特攻に対する多面的な見方、その深さを伝えることが平和祈念館の学芸員の使命だと認識するようになりました。

7月15日。楮畑さんは鹿児島県枕崎市からの来館者たちの講話を担当しました。1人で行うのはまだ4回目。開館前に小屋敷さんとマンツーマンでリハーサルです。「手はこうやって、戦闘機に見立てて」。リハーサルが終わっても、部屋に残り、1人で練習を続けます。

そして本番――。来館者一人ひとりの目を見つめながら、隊員たちの思いを届けます。楮畑さんは講話が終わり、安堵の表情を見せました。講話を聴いた人は「戦争は絶対にやってはいけない」「万世(特攻平和祈念館)に来て良かった」と感想を述べました。

真剣なまなざしで特攻隊員の「思い」を伝える楮畑耕一さん 真剣なまなざしで特攻隊員の「思い」を伝える楮畑耕一さん

 世代を超えても変わらぬ誓い

「幻の特攻基地」と言われる「万世」の語り部として、その礎を築いてきた小屋敷さんは、楮畑さんについて「(万世には)若い世代に伝えなければいけない史実がある。楮畑さんはその思いを受け継いでくれるはず」と期待をかけます。

バトンを受け継ぐ楮畑さんは「大切な人同士が引き裂かれてしまうのが戦争。そんな歴史を繰り返さないために、伝えなければならない。自分のガイドはまだまだですが、自分には特攻の史実を伝え続けていく責務があります」と先輩に応えました。

ともに戦後生まれ、親子ほどの年の差がある小屋敷さんと楮畑さんですが、未来に伝えたい思いと誓いは不変のようです(※記事に登場する方々の年齢は2022年7月時点です)。

小屋敷さん(左)から楮畑さん(右)へ語り部のバトンは継がれる 小屋敷さん(左)から楮畑さん(右)へ語り部のバトンは継がれる

制作:鹿児島読売テレビ

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