終戦間際、熊本県の松橋町一帯が3度の空襲に見舞われました。女学校時代に空襲を経験した女性は、大切な親友を空襲で亡くしました。「あのとき引き止めていれば」「死ぬまでに手を合わせて『ごめんね』と言いたい」。後悔を抱えながら迎えた今年の夏、親友の遺族が見つかり念願の墓参りが実現しました。78年ぶりの再会で親友に伝えた言葉とは。(熊本県民テレビ 松本茜)
1945年7月27日。松橋高等女学校に通っていた元松芳子さん(91)は当時13歳、現在の熊本市から松橋町まで列車で登校していました。いつも一緒に登下校していたのはクラスメイトで親友の大橋ヨシ子さん。普段は学校が終わればまっすぐ帰宅していた2人ですが、この日は事情が違いました。
「たまたま兵隊さんの慰安会がある日だったの。見て帰ってもいいし、見ない人はそのまま帰ってくださいということになりました」
元松さんはヨシ子さんも一緒に見に行こうと誘いましたが、断られました。
「『今日はもう用事があるから帰る』と言うから『どうして?』と言いました。『途中まで送るわ』と言ってヨシ子さんを見送ったんです」
学校から松橋駅へと向かう一本道でも引き留めましたが、ヨシ子さんの意思は変わらず、駅前で解散しました。
「当時は英語禁止でしたからバイバイなんて言えませんよね。『さようなら、またこの次ね』と言って別れました」
元松さんが学校に戻ると、校門をくぐった瞬間に空襲警報が鳴り響きました。グラウンドの防空壕(ごう)には、すでに避難した人が大勢いました。
「弾が当たりませんように」「爆弾が落ちてきませんように」。防空頭巾をかぶり空襲が過ぎ去るのを待ちました。幸い爆弾が落ちることはなく、警報が解除され防空壕から出ると、どこからともなく「松橋駅に爆弾が落ちた」と聞こえてきました。
ヨシ子さんのことが心配で学校を飛び出した元松さん。向こうから母親が2歳くらいの女の子の手を引いて歩いてくるのを見つけました。母親の片耳はありませんでした。
「耳が取れて血がすーっと手をつないでいる子どもの手まで落ちていました。お母さんはぼーっとして歩いていましたね...」
親子の後ろにいた男性は左足の膝から下がなく、ズボンは血で染まっていました。けが人を立て続けに目にした元松さんは、頭が真っ白になりました。
「怖くなってそれから先は行けませんでした。ずっと後悔しています。行った方が良かったか、行かないで良かったか。今でも迷います」
空襲後の惨状を目の当たりにして、ヨシ子さんは亡くなっただろうと悟りました。松橋駅に向かうのをやめて自宅に向かう道すがら、ヨシ子さんのことが頭から離れませんでした。
「なんで死んじゃったんだろう。なぜ彼女のところに爆弾が落ちたんだろう。頭がいっぱいでしたね」
いつもは列車で行く道を徒歩で帰るうちに、今度は自分の身が危ないと感じました。帰り道も警報が鳴り続きます。その度に道ばたや溝に伏せ、かばんで頭を守りました。どれくらいかけて家に帰ったのかは覚えていません。
沖縄を攻略した米軍は、九州や本土への上陸に向けて交通インフラを集中的に攻撃していたとみられ、鉄道拠点のある松橋町は3度の空襲で大きな被害を受けました。被害の全容は明らかになっていませんが、元松さんが親友を失った1回目の空襲では、松橋駅で23人の死者、60人以上の負傷者が出ています。
空襲から1か月も経たないうちに日本は戦争に負けました。松橋空襲のあと休校になっていた学校が再開しましたが、教室にヨシ子さんの姿はなく、亡くなったと確信しました。自宅や家族を知らないため、それっきり。ヨシ子さんを失い、ひとりぼっちの通学で親友を思う日々を過ごしました。
悲しみを抱えていたからこそ、終戦翌年の出来事を今も忘れることができません。
学校を終えて松橋駅のホームで列車を待っていたある日、いつもと違う時間に駅に入ってきた列車には、米兵が乗っていました。米兵が笑いながら窓からなにかを投げると、ホームにいた人たちが米兵の投げたものを取りに行きました。見えたのは紙に包まれたあめ玉。
「あのときは憎たらしかったですね。戦争に負けるってこんなことかと。当時、日本人は誠実で優秀な民族だというプライドがありましたので、ショックでした」
ヨシ子さんの命を奪った米軍の戦闘機。あめ玉にむらがる日本人を指さしながら笑っていた米兵。いまでも当時のことを思い出すと「鬼畜米英だと思う」と元松さんはつぶやきました。
それから70年あまり。元松さんは戦争についてほとんど語らないまま、86歳になりました。婦人会から語り部をしてほしいと打診されたときも一度は断ったといいます。
「戦争なんて思い出したくもない。言いたくもない。嫌ですって言ってお断りしたんです」
断った日の夜はなかなか寝付けませんでした。元松さんから見て平和に慣れすぎている今の世の中で、自分にできることはあるのか...。
「戦争のことを話すって言えばやっぱり私たちの年代しかいないかなと。自分も年だから最後に何か人の役に立つことをしてもいいんじゃないか。みんなに伝えることも大事なんだってだんだん思いだして...」
6年前から語り部の活動を始め、これまでに小学校などで15回ほどの講演を行ってきました。爆弾や爆風も知らない子どもたちにどう戦争の恐ろしさを伝えようか、どう身近に感じてもらおうか。手作りした防空頭巾や救急袋、召集令状を使いながら、限られた授業時間の中で経験を伝え続けています。子どもたちから届く感想文は、元松さんが語った証です。
「私の話を真面目に聞いてくれたんだと思って。子どもたちみんなが『戦争は絶対にしたらいけないということ』は一致していますね。私としてはそれが一番の目的だから良かったって思います」
2023年6月。元松さんは、当時を思い出しながら手作りしたもんぺに身を包み、花を持って車に乗り込みました。向かったのは親友が眠る墓です。
「本当に会えるのかな、複雑です。私が生きている間に会える。それが一番うれしい」
2022年冬、松橋空襲について調べている高校生の発表を聞きに行くと、たまたまヨシ子さんの名前を耳にしました。これまでヨシ子さんにつながる手がかりは一切ありませんでしたが、この発表会をきっかけに遺族がみつかったのです。空襲の日、親友のもとへ駆けつけられなかった後悔。ずっと願っていた親友のお墓参りが78年越しにかなうことになりました。
墓地で元松さんを迎えてくれたのは、ヨシ子さんの弟の妻・大橋トシ子さんです。ヨシ子さんの弟・貞信さんはすでに亡くなっていましたが、妻に「姉は松橋空襲で亡くなった」と話していたそうです。元松さんの自宅から車で40分あまりの場所にヨシ子さんは眠っていました。
「ああ、ヨシ子ちゃん...」
膝が上がらない足で手をつきながら懸命に墓石に近づく元松さん。ようやく火を付けて線香をあげます。
「ヨシ子ちゃん来たよ。長かったね、78年ぶりだよ。わかるかな。白髪になっちゃった」
思わずあふれる涙。まず伝えたのはあの日の後悔でした。
「もう一押し私が止めれば良かったんだけど、ごめんなさい。ご遺体を見つけようと思って学校から走って出たのよ。だけど途中で怖くて帰っちゃった。ごめんね、ごめんね」
当時を思い出してもらおうと、もんぺ姿の元松さんは持参していた防空頭巾と救急袋を身につけました。
「これかぶると分かるかな? いつもかぶっていたもんね。空襲の時、防空壕でごっつんこしたね。授業はあまりなかったね。でも楽しかった、あなたがいたから。忘れたことないよ」
86歳になって始めた語り部活動の話もしました。ヨシ子さんがどこに眠っているかわからないなか、「あなたの話をするね、ごめんね」と自宅の仏壇に手を合わせてから子どもたちに話していたこと。やっと報告できました。
「あなたの死を無駄にしたらいかんと思って。今、小学校や老人ホームに話しに行っている。必ずあなたを思い出して...」
78年の空白を必死に埋めるように、時折言葉に詰まりながら、息を切らして語り続けました。お参りを終えて「取り乱しました」とほっとした様子でつぶやいた元松さん。ヨシ子さんと一緒に飲もうと用意した水を開け忘れたことに気付きました。
「でも大丈夫。道が分かったからいつでも行けます。生きていたらまた来ます。それまで頑張って生きていなくちゃね」
78年前、ヨシ子さんを引き留められず、ずっと心を締め付けてきた後悔の気持ち。ヨシ子さんの墓にきちんと手を合わせ、語りかけることで心が和らぎました。今度は後悔を晴らすためではなく、親友と話すためにお参りに行きたいとほほ笑みました。
元松さんは今年で92歳。戦争を経験した世代が少なくなるなか、話せるうちは車椅子に乗ってでも語り部活動を続けたいとヨシ子さんに誓いました。
「もういいやと思うこともあるが、そう思っちゃいかんですね。もうちょっと頑張らんとですね。やっぱりヨシ子ちゃんの死を無駄にしたらいかん。できるところまで頑張ります」
取材:熊本県民テレビ 松本茜
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