このページでは「#きおくをつなごう」の番組や記事を見た方から、TBS/JNNの情報提供フォームに寄せられたお話を掲載しています。(公表に際し、表現を修正している場合があります)

祖母(首藤フミ子 終戦当時26歳)からよく聞いた話です。
当時、祖母の家は丸紅と取り引きがあり、京都大阪に買付けに行くほどの呉服屋でした。
大戦中、戸次に海軍飛行場を造る事になりました。
予科練は、小学校と町の各民家に泊まって飛行場を造る事になり、祖母の家も担当となりました。
昭和20年5月12日祖母の家に三重空の予科練の方々50名が来られました。
しかし、ちょうどその日は、中国満洲に出征した長男の戦死(戦病死)が伝えられた日でした。
曾祖父と祖母は予科練の方々を長男の代わりだと家に泊め、終戦までお世話したそうです。
空襲警報の際には、自宅の防空壕を譲り、遠くまで避難したと聞いています。
帰る際、日の丸に寄せ書きを残されました。
海軍の飛行場は鹿児島の鹿屋から飛行隊が来て、彩雲等の航空機を飛ばしていたそうです。
戦後数十年、予科練の方々が祖母を訪ねて来られ、祖母と予科練の方々と全国で同窓会のような交流があり、その際、祖母は日の丸の寄せ書きを持って行っていました。


■投稿者
大分県、首藤順一さん(47)
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