このページでは「#きおくをつなごう」に関連する番組や記事を見た方から、TBS/JNNの情報提供フォームに寄せられたお話を掲載しています。(公表に際し、表現を修正している場合があります)
岐阜空襲のその日、17歳の母・小木曽公子(現在97)は、自宅の防空壕ではなく近くの市役所地下に避難し、家族共々なんとか命を繋ぎました。
防空壕に逃げた近隣の人々はみんな亡くなったそうです。
助かった母や家族は親戚の所に身を寄せ、僅かに残った着物を食べ物に換えに行ったり、遺体の浮いた川で洗濯したり体を洗ったり、そんな体験を話してくれました。
その後まだ戦後復興に向かう中、勤め先でミス岐阜に選ばれたことで笑顔になれる話題もありました。
写真はミス岐阜の女性たち、母は1番左です(トラックの荷台に乗り街をパレードしたそうです)
■投稿者
岐阜県、小木曽雅子さん(62)
太平洋戦争終結から長い年月が経ち、当時の記憶をつなぐ「人」や「もの」が失われています。
記憶を発掘して次の世代につなぎ、戦争を二度と起こさないために、JNNのニュースサイトTBS NEWS DIGとYahoo!ニュースは共同で「#きおくをつなごう」プロジェクトをはじめました。
このプロジェクトでは、賛同するみなさまの力を借りることで、より多くの人に戦争について知ってもらい、記憶の風化を防ぎたいと考えています。
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