このページでは「#きおくをつなごう」に関連する番組や記事を見た方から、TBS/JNNの情報提供フォームに寄せられたお話を掲載しています。(公表に際し、表現を修正している場合があります)

私の父。
大正生まれ、まだ学生の頃戦争が始まり、国内国外あちこち行かされて、上司が怖くて命令されるがままに日々戦争に参加していたとの事。
私が祖父母から聞いた話。
父が終戦で帰宅してからは、毎晩うなされ、大酒を飲むようになり、酒乱になってしまった。
騒ぐ父を見て祖母は、小学生の私に、「〇〇ちゃん。ごめんね、お父さんはすごく良い子だったんだよ、戦争で狂わされたんだよ。お父さんは悪くないんだよ」と涙を流していて、傍で悲しむ母が座り込んでいたのを覚えています。
父は私が大好きでした。酔っ払うと時々、「僕が〇〇県に行かされた時、おばあちゃんは、浴衣や綿入れ半纏や保存食など沢山のお土産を持って来てくれて、こんな遠い所迄よく来てくれたと、涙が出た」と言ってました。
母は、学校の授業は、毎日兵隊さん達の為のお裁縫等で、空襲が始まると、頭巾付き綿入れを着て田んぼの泥に隠れたそうです。
楽しい事、幸せな事は何も無かったそうです。ただ怖い日々だったと言っていました。
私は今は他界した両親と祖父母に感謝しながら、日々真っ直ぐに生きてゆこうと思う日々です。
私は父母が戦争で凄く凄く辛い青春時代を送った事を知り、両親を守り大切に沢山の幸せな瞬間をプレゼントしようと決め、幸せな思い出をたくさん作る事に努力しながら数年前にお別れしました。
最後に父の隊がいた場所が空襲された時、若い兵隊はみんなでトイレの肥溜めに飛び込んで命拾いしたとの事、あの話の時、あの父の顔を思い出しただけでも涙が溢れてきます。
どうかどうか天国で幸せに暮らしてくださいと願う日々です。
戦争で苦しい日々を生き抜いてくれた方々のお陰で、今私達が幸せに生きていられる事、感謝の日々です。
■投稿者
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