東條浩士さん 1936年生まれ
空襲当時、8歳で徳島師範男子部附属国民学校3年生でした。家族構成は両親、5人のきょうだいに、祖母、おばさんと暮らしていました。父親は徳島駅北側の徳島中央公園内で料亭を営んでいましたが、食糧不足で料理が提供できなくなり、海軍兵士の保養施設になっていました。自宅は公園から出たすぐの場所にありましたが、空襲警報の発令が頻繁になると、子どもと祖母は料亭地下に掘った防空壕で寝るようになりました。
徳島大空襲時、弟たちと防空壕で寝ていましたが、複数の知らない人が「助けてくれ」と防空壕に入ってきたので目が覚め、外を見ると一帯に焼夷弾が落ちて火の手が上がっていました。そこで、火のない北に向かって姉と布団をかぶって走りました。料亭に火がついたので母親が消そうとしていたのを覚えています。東條さんは慌てて近くの池に飛び込みましたが、それでもそばにあった建物が燃え出すと、池の水まで熱くなってきて「いつまでもつのだろうか」と考えながら、夜が明けるまで池の中で辛抱しました。周囲には焼夷弾が直撃して苦しんでいる人もいました。
朝になると、もうもうとした煙が立ちこめ、太陽が紫色になっていた。家族は全員無事だったが、木造3階建ての料亭は焼けて落ち、自宅も焼失していました。
撮影日:2020年6月25日
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