気がついたら土煙の中だった:徳島大空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/7/4

  • 来襲した軍用機の種類

    B-29 129機

  • 空襲で亡くなった人の数

    1,000人以上

  • 空襲で負傷した人の数

    およそ2,000人

横山正さん

横山さんは、徳島大空襲の前の6月22日の秋田町大空襲に巻き込まれました。空襲当時11歳で富田国民学校5年生(現・富田小学校)、秋田町3丁目で両親と弟の4人で暮らしていました。22日朝は空襲警報が出たため、学校へはいかず自宅待機。この日母親に近くの酒屋へお使いを頼まれて、家族ぐるみの付き合いがある酒屋のおばさんに誘われて弟と一緒に家に上がったと言います。おばさんは、鉛筆を弟と1本ずつくれて、書くまねをしながらおばさんと、その家の娘さんと話をしていたところに爆弾が炸裂。気が付いたら土煙が舞うがれきの中でした。汗かと思って頭を触ると、血が出ていました。近所の人に連れられて、近くの富田小学校に手当してもらい、帰っていると、傷だらけの弟が担架で運ばれていました。母親も自宅のがれきで下敷きになっていましたが、駆け付けた父親や住民が協力して助け出してくれました。目の前で話していた酒屋のおばさんとその娘さんは亡くなり、隣の家も死者が出ました。この秋田町空襲では、123人もの犠牲者が出たのです。

撮影日:2020年6月24日

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