田んぼの中を逃げまどった:徳島大空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/7/4

  • 来襲した軍用機の種類

    B-29 129機

  • 空襲で亡くなった人の数

    1,000人以上

  • 空襲で負傷した人の数

    およそ2,000人

橋本保子さん 1934年生まれ

空襲当時、10歳で佐古国民小学校5年生(現・佐古小学校)。家族構成は両親と兄、弟2人でした。自宅は、徳島市中佐古で雑貨店を営んでいました。徳島大空襲があるまでは、まさか自分が住んでいるところが狙われるとは全く思っていなかったと言います。7月4日未明、徳島駅方面から火の手が広がり、自宅の方に迫ってきて母親が先導して逃げ出しました。乳児の弟は母親が抱き、4歳の弟と手をつないでいました。空を見上げる余裕もなく、途中靴が脱げてもはだしで走りました。夜が明けて、家に戻ると、一帯が焼け野原で、残っていたいのは鉄の羽釜とミシンの台だけ。母親の実家がある藍畑村に疎開し、新たな生活が始まりました。敗戦の日、玉音放送を聞いて泣いている人もいましたが、悲しいとは思わず、開放感があったと言います。

撮影日:2020年6月24日

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