家を焼かれても負けるとは思わなかった:熊本空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/7/1

  • 来襲した軍用機の種類

    B-29 154機

  • 空襲で亡くなった人の数

    500人から600人

  • 空襲で負傷した人の数

    およそ1,300人

安藤冨士記さん 1930年生まれ

熊本工業学校に通っていた終戦の年の1945年春、ほとんど授業はなく勤労動員の日々でした。5月には学校が機銃掃射に遭い、同窓生5人が犠牲になりました。7月1日深夜の熊本大空襲では、熊本市中心部に住んでいて火災に追われて幼い親戚の子どもたちを連れて逃げ惑いました。結局自宅は焼失してしまいました。8月10日の空襲でも機銃掃射に遭いました。こうした体験をしながらも、終戦のその日まで日本が負けるとは思わなかったと言います。戦後、教員になった安藤さんは、戦争をすることに疑問を持たなかったあの時代への反省から、自らの頭で考え判断することを柱に子どもたちに向き合ってきました。いま、戦争と平和を伝える資料館建設のための活動を続けています。

撮影日:2020年2月18日

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