帰ることのできない故郷〜硫黄島〜:小笠原空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1944/6/15

  • 来襲した軍用機の種類

    艦載機

  • 空襲で亡くなった人の数

    不明

  • 空襲で負傷した人の数

    不明

山下賢二さん 1930年生まれ

山下さんのふるさと、硫黄島は戦前、農業と漁業が盛んで村人は貧富の格差なく豊かな生活を送っていたと言います。その硫黄島では、一部の住民が軍属として残り、その他の住民は本土へ疎開したのち、米軍が上陸して激しい地上戦になりました。一カ月余りの戦闘は、日本軍2万人以上、アメリカ軍もおよそ7000人もの戦死者を出す過酷なものでした。島は、戦後米軍基地となり、返還後は自衛隊基地として使われ住民は今も戻ることができません。島のかつての暮らしを知る人はわずかになりました。

撮影日:2019年1月18日

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