真昼のように照らし出された熊谷の街:熊谷空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/8/15

  • 来襲した軍用機の種類

    B-29 89機

  • 空襲で亡くなった人の数

    266人

  • 空襲で負傷した人の数

    およそ3,000人

長崎良一さん 1933年生まれ

長年、熊谷市で「詩吟の会」を主宰して今も指導にあたっている長崎良一さん。太平洋戦争末期には国民学校(小学校)を終了し高等科の一年生に在籍していました。しかし、授業は1日に1時間だけであとは飛行機の部品工場の作業に当たりました。熊谷空襲の時、照明弾と思われる明かりが街中を照らしたことが強烈に印象に残っています。物資がなくて誰もが不自由な思いをしていたことやお弁当の中身がおかゆだったことで恥ずかしくて食べずに持ち帰ったこと、勤労動員の日々、空襲後町の中心部が焼け野原になったことなどを話してくださいました。

撮影日:2018年9月12日

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