埼玉県北部の熊谷市は、終戦の日の8月15日に市街地をほぼ焼き尽くす空襲にあいました。米軍の空襲の大きなねらいは日本の生産力を労働者の暮らしとともに破壊することで、熊谷は市内の各所に軍用機の部品工場がいくつもあったことで標的になったと言われています。
なお、日本の敗戦が決まっているにも関わらず徹底的な空襲が行われたのはなぜだったのでしょうか。8月10日に、一旦は連合国が発したポツダム宣言を受け入れると答えながら、徹底抗戦を叫ぶ軍部を抑えきれずに正式な降伏の受け入れ表明をしない日本政府を追い込むためだったと言われています。
終戦の日の空襲で熊谷では266人が死亡、さらに秋田県土崎、群馬県伊勢崎、神奈川県小田原などにも空襲がおこなわれ、この終戦の日に600人以上の犠牲者が出たとされています。
熊谷空襲で炎の中を逃げまどった人の体験談、そしてこの空襲を調査して未来に伝えようという若い世代の取り組みも紹介します。地元・埼玉新聞社の協力で取材・制作しました。
証言動画
この空襲を体験した方のインタビューをご覧ください。
インタビュー記事
炎が頭についた人=石山美江子さん
「焼夷弾がすごいから真昼みたいでした。本当に明るくて気持ち悪いくらいなんです」
当時埼玉県立熊谷高等女学校の1年生だった石山美江子さん(85歳)は、空襲警報で目がさめると真夜中にも関わらず外が異様に明るいことに驚いた。そして、激しい空襲にさらされた熊谷市街の中心部の自宅を飛び出して降り注ぐ焼夷弾を避けるようにして郊外に逃げた。
「逃げている途中に、防空頭巾に火がついて助けて助けてと叫ぶ人がいました。でも、怖くて助けられないですよね。それが今も焼きついています」。
埼玉県熊谷市が89機のB-29の編隊に襲われたのは1945年8月15日の午前0時すぎのこと。1時間16分続いた攻撃で660トンもの高性能の焼夷弾が1キロ四方に投下された。このため熊谷市街の中心部はほぼ焼き払われた。市街の中心を流れる「星川」。炎から逃れ水に入れば助かるとこの川に人々が飛び込んだが、川の両岸から迫った火炎に包まれてしまい、およそ100人がこの川で命を落としたとみられている。そして熊谷空襲全体の死者は266人。埼玉県での空襲では最大の被害だ。しかも、これは終戦の日のことである。
なぜ熊谷が標的になったのだろうか。
なぜ熊谷が狙われたのか
「働く人の家や暮らしを焼き払うことで、日本の生産力を破壊する」。これが、1945年の3月以降工場などへの精密爆撃から無差別爆撃へと変更した米軍の空襲の戦略であった。
熊谷に近い群馬県太田市には、日本最大の軍用機メーカー「中島飛行機製作所」があり、陸海軍の戦闘機から爆撃機までここで製造していた。熊谷市内にはその下請けの中小の部品工場が数多く存在していた。そのために空襲の標的になったのだ。戦前に得ていた情報、あるいは航空偵察、捕虜からの情報などで米軍はその熊谷の実態について知っていたと考えられている。
終戦の日の空襲
1945年7月に日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が出されたが、その時日本政府はこれを「黙殺」。しかし、8月9日のソビエトの満州侵攻と長崎への原爆投下の翌日の8月10日に「天皇統治の大権に変更がない」ことを条件に日本政府はポツダム宣言を受け入れることを決め、中立国を通して連合国に伝わることとなった。そのため、米軍はB-29による空襲を休止する。しかし、正式なポツダム宣言受託が決まらないまま時間が経過したため、14日には米軍は大規模空襲を再開することとなった。
そして14日深夜、日本政府は、最終的にポツダム宣言を受諾することを決め終戦の詔書を出し、連合国に日本の降伏が伝わった。ただ、ワシントンからマリアナの司令部に攻撃中止命令が伝わったのは、15日午前4時45分のことで、熊谷をはじめ群馬県伊勢崎、秋田県秋田市土崎などへの空襲はすでに終わりB-29の編隊はマリアナへ帰還する途上にあった。
日本も連合国も指導者たちは日本の敗戦が間近であることを知りながら、これらの空襲は行われ、多くの命と暮らしが奪われた。
2018年8月16日、今年も熊谷市の中心を流れる星川で長年続けられている慰霊の灯籠流しが行われた。
終戦の日に亡くなったひとびとを悼む灯りがいくつも川を静かに流れていた。
制作:Yahoo!ニュース取材:2018年8月
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