負傷者の治療に当たった母親:鳥取県西部空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/7/24、25、28

  • 来襲した軍用機の種類

    グラマンやコルセアなど艦載機のべおよそ170機

  • 空襲で亡くなった人の数

    70人

  • 空襲で負傷した人の数

    多数

後藤史朗さん 1935年生まれ

「お昼前くらいだったと思います。(小学校の先生から)『生徒は帰れ』といわれてやぶの陰を走って...。そのときに私が見たのは水平線のかなたでゴマ粒のような小さなものがやられて。多分船がやられていたんでしょう」。1945年7月25日。輸送船の永安丸と第二伊勢丸が襲撃されたところを見た後藤さん。けが人の手当てを行っていた母親の姿など、記憶をさかのぼって語っていただきました。

撮影日:2017年12月22日

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