1944年6月に始まった米軍の戦略爆撃は日本中を焼け野原にしていきました。そして、戦争末期には日本は近海の制空権、制海権をなくし、日本本土のすぐ近くまで連合軍の空母機動部隊が迫ってきました。空母から発進した戦闘機や爆撃機が飛行場などの軍事施設だけでなく、工場や鉄道、港などのインフラなども銃爆撃するようになったのです。
1945年7月には、静かな山陰の町や村までが激しい攻撃に晒されました。米子市を中心にした鳥取県の西部地域への銃爆撃。主な空襲は7月24日、25日、28日の三日間行われ、25日には2隻の貨物船が撃沈され多数の乗組員が命を落としました。28日には山陰線の列車が銃爆撃を受けて、勤労動員の若者など45人が犠牲になったとされています。
この三日間の空襲を体験した人々の証言、そしてこの出来事を未来へ伝えて行こうと取り組む人々を紹介します。これらのコンテンツは、鳥取県米子市を拠点に鳥取県西部をサービスエリアにしている「中海テレビ放送」とYahoo!ニュースとの共同取材で制作しました。
証言動画
この空襲を体験した方のインタビューをご覧ください。
インタビュー記事
「何が起こったか分からなかった」
「船が通っとったのはここからだいぶん沖の方でしたからね。水平線の上でした」
鳥取県大山町(だいせんちょう)に今も暮らす吉田広重さん(83)は"あの日"を忘れない。製麺工場を経営していた吉田家の裏手はすぐに海に面しており、視界は遠くまで開けていた。
「グラマンいう飛行機が飛んどったですわ。戦闘機ですね、アメリカの。十機くらいおったかも知れんな。かなり飛んどったです。この上を通って海の沖の方に行きおったんです。かなり機銃を撃つ音も聞こえとったですね。『バリバリバリ』、と。爆弾の音も聞こえた。水柱が上がりおったですよ」
1945年7月25日、米軍戦闘機が日本の貨物船、「永安丸」と「第二伊勢丸」を標的として銃爆撃。二隻は沈没した。
「(船襲撃から米軍機が)帰ってくるときだったかな、低空で飛んどったから操縦者の顔がね見えるくらいでした」
しばらくすると、けが人らを乗せたボートが吉田家近くの海岸に向かってきた。
「ゆっくり走っとったですわ。途中で手旗信号を送っとったですね。後で聞いてみりゃ、『担架を頼む』って送信しとったですね。(負傷者らは)動いてはおらんかったですね。だいたい血だらけになっていた感じだったですね」
当時8歳だった弟の益教さん(81)もこの日の記憶が残っている。爆撃を目にした時には「何が起きとるか全然分からなかった」と振り返る。
ボートについても覚えていた。
「10何人の人が(浜に)上がってきて。撃たれた人、怪我した人が。担架がないからね。戸板2枚か3枚。うちの海の側の戸を外してね。それを使ってくださいって降ろしたですけど」
負傷者らは当時の役場に運ばれ、手当てされたという。
大山町での列車・貨物船襲撃事件の当事者、目撃者らの証言を基に「面瀬(おもぜ)の沈船」という冊子をまとめた人がいる。大山町教育委員会に勤める杉谷安也女(あやめ)さん(65)。
業務で地元の歴史に触れるうちに、身近な場所でも戦災があったことを知った。被災者らの聞き取り調査にも同行し「この方たちも歳をとっていかれるのに、後を継ぐ人がいなくて。どうしていかれるのかな」と感じ始めたという。
戦後70年を機に、被災者や遺族、関係者が大山町を訪れたり、資料の提供があったりした。「ここで何かしゃべっておかないといけない、残しておきたい、そういう思いで、しゃべられたのかなって感じました」
「面瀬の沈船」の作成については「私の情熱というよりも、遺族の思い、証言者の思い、永安丸の思い。みなさんの思いが結集されてできた記録集だと思います。若い方に伝えていきたいっていう思いがあります。地元の小中学校でも、毎年じゃなくてもいいですので、(戦災の記録を)取り上げていただけたらいいな、と」
制作:中海テレビ放送・Yahoo!ニュース取材:2017年12月・2018年1月
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