がれきから這い上がってみると:大分・保戸島空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/7/25

  • 来襲した軍用機の種類

    空母艦載機1機

  • 空襲で亡くなった人の数

    127人

  • 空襲で負傷した人の数

    75人

島田繁夫さん  1935年生まれ

マグロ漁が盛んだった保戸島は、敗戦が近づくと成人男性は徴用され、毎日のように警戒警報、空襲警報が鳴るようになったという。1945年7月16日は大分市が空襲の対象に。島田さんは「上空が真っ赤に、夕焼けみたいになっていた」と話す。そして25日。登校中に「聞いたことのないようなブウウーーン」という音を聞いた直後、「ドカーンという音がした」。下敷きになったがれきから這い出ると、「それまでなかったがれきが山のように折り重なりあっていた。その中に生徒の死体がバラバラ入っているんですよ」と語った島田さんの証言をご覧ください。

撮影日:2017年7月26日

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