ただ妹と会いたい:大分・保戸島空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/7/25

  • 来襲した軍用機の種類

    空母艦載機1機

  • 空襲で亡くなった人の数

    127人

  • 空襲で負傷した人の数

    75人

鈴木研治さん  1935年生まれ

「奈落の底とか、阿鼻叫喚とか言葉はありますよ。(でも)その上ですね。あの恐ろしさは」―。1945年7月25日。当時国民学校1年生だった妹・昭代さんと手をつないで登校した鈴木さん。授業中、「ものすごい音がしましてね。そしたらガラス窓が全部粉々になって吹き飛ばされて。あとはさっぱり分かりませんからね」。しばらくして校庭に出てみると、子どもの首、手足などが転がっていた。「僕も助かったから妹も助かっただろう」。鈴木さんの思いは届かず、1年生と5年生の全児童が爆弾の直撃と機銃掃射で死亡していた。鈴木さんは語る。「なんにもいらん。ただ妹と会いたい」。

撮影日:2017年7月25日

そのほかの空襲記事

さらに読み込む
未来に残す 戦争の記憶 トップへ