学び舎に散った子どもたち~大分・保戸島空襲~

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/7/25

  • 来襲した軍用機の種類

    空母艦載機1機

  • 空襲で亡くなった人の数

    127人

  • 空襲で負傷した人の数

    75人

現在の大分県津久見市にある「保戸島」。太平洋戦争末期、この島の唯一の小学校・保戸島国民学校に米軍機が爆弾を投下。全校児童の4人に1人の命が奪われました。

保戸島はまぐろ漁の拠点として栄え、戦前は周囲4キロの島に2200人の住民が暮らし、保戸島国民学校には500人もの児童が通っていました。

終戦まであとわずかとなった1945年7月25日朝、授業が始まったばかりの学校に米軍の空母艦載機が爆弾を投下しました。さらに、崩れ落ちた校舎や校庭に機銃掃射を加えました。校舎の下敷きになったり、機銃掃射で撃たれたりした子供達の悲鳴、子の行方を捜す父母たちの叫びで阿鼻叫喚となったと言います。この空襲で、全校児童の500人のうち124人と教員2人、教員の子1人の127人の命が奪われました。特に、1年生と5年生は全員が亡くなったのです。なぜ小学校が標的になったのかは未だにわかっていません。

この空襲をかろうじて生き延びた、保戸島国民学校に通っていた人々や家族を奪われた人々の証言で、多くの子供達の命と未来を奪った「保戸島空襲」を振り返ります。

証言動画

この空襲を体験した方のインタビューをご覧ください。

インタビュー記事

平穏な島が一瞬で...=鈴木研治さん

「穏やか過ぎるほどだった。島の人は、戦争よりもマグロ捕りの方が真剣でしたね」

こう語るのは大分県南東部・津久見市にある保戸島(ほとじま)で住職を勤めていた鈴木研治さん(81)。

周囲約4キロの小さな島ながら、マグロ漁が盛んで、島唯一の国民学校(現在の小学校)には約500人の生徒が通っていた。鈴木さんは終戦時3年生。学校にはいつも通り行き、平穏な日々が続いていた。「もう島中が家族ね。本当にいい島でしたね」

インタビューに応じる鈴木さん=2017年7月 インタビューに応じる鈴木さん=2017年7月

しかし、マグロ漁船が海軍に使われたり、除夜の鐘に使う寺の鐘が供出されたり、平穏な島にも徐々に戦争の足音が聞こえてきた。1945年7月16日には大分市が空襲の標的に。「爆弾が落ちて爆発しますね。それが山を越えて、ものすごい勢いで火を噴くんです。真っ赤になりましてね、山が」

それでも、島には変わらぬ日常が続いた。「まさか敵の軍隊が爆弾を落とすなんて夢にも思いませんからね。地図にも載らない島ですからね」

「まさか(島に)爆弾を落とすなんて夢にも思わなかった」と語る鈴木さん=2017年7月 「まさか(島に)爆弾を落とすなんて夢にも思わなかった」と語る鈴木さん=2017年7月

ところが、その「まさか」は現実となった。

終戦間際の7月25日。1年生だった妹の昭代(あきよ)さんの手をつないで歩いた鈴木さん。歩きながら交わした会話も、「(出征した父が)早く帰ってくれるといいね」「勉強、頑張れよ」などたわいもないことだった。

1年生と5年生はいつも通り本校舎に。鈴木さんら3年生は裏の校舎へ向かった。しばらくすると空襲警報が鳴ったが、すぐに止んだ。授業が再開し、鈴木さんが立ち上がり、教科書を読んでいたときだった。「『ガーン』ときたんですよね。台風なら台風、地震なら地震と分かるんだけどね。まさか敵の爆撃機が鉄砲の弾を、爆弾を降らせるとは夢にも思いませんでしたからね」

鈴木さんは爆弾や機銃掃射が舞い降る中、防空壕へ向かう。しばらくするとそこへ親友が運び込まれた。「頭には大きな穴が開いている。血が出ないんですよ。校舎の下敷きになったときに血が出たんでしょうね。体中穴だらけ。まだ生きているんです。すぐ死にましたけどね」

「戦争なんてするもんじゃない」=2017年7月 「戦争なんてするもんじゃない」=2017年7月

防空壕にいたのは2~3時間。「僕も助かったから、妹も助かっただろう」。そう思いながら校庭に出てみると...。

「まだ土ぼこりが収まってませんでしたからね。腕、足、飛び出して転んでるんですよね。妹の1年生、妹の上の2階の5年生は全滅。みんな殺されました。表現できない世界ですね」

「(他の)お母さんたちが頭の割れた、お腹が破れた手も足も無いわが子を一生懸命抱いて、わんわん泣き叫ぶんですね。罪も何もない、戦争の『せ』の字も知らない子どもたちが...。これが仏教でいう地獄じゃなと思ったですね。それが戦争でした」

――妹さんにお会いしたいですか。

「何もいらん。妹と会いたい。戦争なんかするもんじゃないよね。僕は一番知ってるんだから」

取材日:2017年7月

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