12歳で乗り込んだ密航船:奄美空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1944/10/10~終戦まで

  • 来襲した軍用機の種類

    グラマンなど空母艦載機多数

  • 空襲で亡くなった人の数

    461人

  • 空襲で負傷した人の数

    299人

岡登美江さん 1937年生まれ

鹿児島市に疎開していた岡さんは、1945年6月17日の鹿児島大空襲で大やけどを負って、終戦後すぐに名瀬に戻った。町はほとんどが焼け野原になり、実家もなくなっていた。終戦後の奄美は物資がほとんど入らず困窮した。岡さん一家も食べるものがなく、本土に持って行けば10倍の値がつくと聞いて、黒砂糖を持って「国境」を超える密航に生活を頼った。母親が行けなくなったとき、12歳の岡さんが4日間も小舟に乗って密航したという。そうした過酷な体験を語ってくれた。

撮影日:2017年7月7日

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