固く握った母の手、離してしまった:横浜空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/5/29

  • 来襲した軍用機の種類

    B−29 510機、P51戦闘機 101機

  • 空襲で亡くなった人の数

    8,000人〜10,000人

  • 空襲で負傷した人の数

    12,000人

神倉稔さん 1932年生まれ

焼夷弾が降り注ぐ中、逃げ惑う群集。そのなか、当時13歳だった神倉さんは母と弟とともに避難場所とされていた高台の公園を目指す。しかし、火の手に阻まれ途中の国民学校へ。「その時に固く手を握っていた母と弟。手を離しちゃったんですね、私自身」。その後に捜索するも二人の遺留品すら見つからない。涙ながらに語っていただいた神倉さんの体験をご視聴ください。

撮影日:2017年6月8日

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