「火の渦」逃げよう無かった:仙台空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/7/10

  • 来襲した軍用機の種類

    B-29 123機

  • 空襲で亡くなった人の数

    1,000人以上

阿部邦彦さん  1932年生まれ

「火の渦の中でどこにも逃げようが無かったんですよね」。仙台中心部に住んでいた阿部さんは当時を振り返る。

家族で防空壕に逃げ込んだが、逃げ遅れた人が次々と入り、同時に焼夷弾による煙も流入し、酸素不足になっていった。母は当時1歳だった弟に乳を与えていたが、弟はだんだんと衰弱。「(母は)悲しい声でしたよね『乳を吸わなくなった』って。自分が抱きながら死んでいくのが分かりますからね」

撮影日:2017年4月19日

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