防空壕にいても機銃掃射の弾が:釧路空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/7/14〜15

  • 来襲した軍用機の種類

    空母艦載機多数、および戦艦や巡洋艦による艦砲射撃

  • 空襲で亡くなった人の数

    2,000人以上

梶勝幸さん 1937年生まれ

今も釧路に暮らす梶さん。

1945年7月14日に釧路が襲われた空襲の日を、当時6歳ながら鮮明に覚えている。

空襲警報が鳴ったのは早朝。地域住民が作った大きい防空壕に入った。壁は厚かったが「機銃掃射の弾っていうのはこれを通すんだよ。今でも覚えている。敵機が急降下する音が聞こえたあと、右足のアキレス腱のところに『パスッ』っと風を感じたんだよ」。その後、姉と逃げ惑った様子など、語っていただきました。

撮影日:2016年11月1日

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