さく裂する砲弾〜戦場になった呉上空:呉空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/3/19、5/5、6/22、7/1・2、24~28

  • 来襲した軍用機の種類

    B-29、グラマン、ロッキードなど

  • 空襲で亡くなった人の数

    3,700人

  • 空襲で負傷した人の数

    2,700人

朝倉邦夫さん 1936年生まれ

朝倉さんは「呉戦災を記録する会」の会長をつとめ、次世代へ空襲体験を伝える活動を続けています。

呉の港に停泊していた軍艦に米軍の爆撃機が襲いかかり、日本側も激しく砲撃した様子を鮮明に覚えています。

「沖縄以外で、本土で戦場になったのは呉なんですよ」と言います。その他、戦後疎開から帰ってきた時に見た呉の街が焼け野原になったこと、父親が焼夷弾で顔に大やけどを負ったことなどを語ってくれました。

撮影日:2016年12月22日

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