歌で見送った特攻出撃の戦艦大和:呉空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1945/3/19、5/5、6/22、7/1・2、24~28

  • 来襲した軍用機の種類

    B-29、グラマン、ロッキードなど

  • 空襲で亡くなった人の数

    3,700人

  • 空襲で負傷した人の数

    2,700人

西迫マツ子さん  1928年生まれ

西迫さんは、高等女学校の時に呉海軍工廠(兵器工場)に動員され、寄宿舎で集団生活を送りながら地雷や手りゅう弾の製造に当たりました。終戦の年の4月、戦艦大和の出撃を港で見送りました。西迫さんに向かって艦上で手を振って別れた若者のほとんどは、南の海に消えて行ったのでした。そして、1945年7月24日の軍港への空襲に遭遇。「パイロットの顔が見えたんです。目が青くて鼻が高くて、機銃で狙っていたんです」とその時の恐怖を語ります。

撮影日:2016年12月20日

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