大やけどの末に息絶えた級友:鹿児島空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1944/10〜1945/8

  • 来襲した軍用機の種類

    グラマン戦闘機やB-29多数

  • 空襲で亡くなった人の数

    3,300人以上

  • 空襲で負傷した人の数

    5,000人以上

別府典子さん 1928年生まれ

鹿児島市を米軍の爆撃が襲った6月17日夜。当時女学校に通っていた別府さんは学校の寄宿舎にいた。

「火の粉が身体につくんです」。学友にかかった火の粉を消そうと一生懸命だった別府さん。夜が明けてみると、「腕の皮がここ(手首)にぶら下がっていましたよ。あんなのを見る人はないと思います」

撮影日:2016年11月30日

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