種子島空襲で焼け落ちた我が家:鹿児島空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1944/10〜1945/8

  • 来襲した軍用機の種類

    グラマン戦闘機やB-29多数

  • 空襲で亡くなった人の数

    3,300人以上

  • 空襲で負傷した人の数

    5,000人以上

名越和子さん 1932年生まれ

1945年当時、13歳だった名越さんは同年4月の空襲で市中心部にあった自宅が全焼した。その日、弟を背負って市街地を見下ろせる小高い丘にある神社にたどり着くと、「真っ赤になって」(自宅が)崩れ落ちるところを見たという。「号泣。それこそ泣きました」

「後世に種子島の戦災を知ってもらいたい」。自らの記憶や、収集した資料を基に自ら書きとめたノートをもとに当時の様子を語っていただきました。

撮影日:2016年11月29日

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