特攻基地への攻撃が市街地にも:鹿児島空襲「証言」

空襲の被害データ

  • 空襲を受けた年月日

    1944/10〜1945/8

  • 来襲した軍用機の種類

    グラマン戦闘機やB-29多数

  • 空襲で亡くなった人の数

    3,300人以上

  • 空襲で負傷した人の数

    5,000人以上

立元良三さん 1929年生まれ

当時15歳だった立元さん。

太平洋戦争中、鹿児島県内最大の特攻隊基地があった鹿屋市に住んでいた。空襲は基地に留まらず、民間地にも。「凄い爆音ですね。ドーンっと」「直撃を受けた人は、防空壕に逃げたんですが、夜脚を切断して。お医者さんはいないので、ナタノコで脚を切っている。うめき声が聞こえて」。生々しい当時の様子をお話しいただきました。

撮影日:2016年12月1日

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