1945年3月10日未明、300機を超す米軍の大型爆撃機が東京下町の上空に姿を現し、38万発1,700トンもの焼夷弾を投下しました。
下町は木造住宅が密集していたため、あっという間に火が回り、北西の季節風に煽られ炎が広範囲で吹き荒れる状況が出現しました。防空壕や人々が避難した公園や隅田川にかかる橋なども炎が飲み込み、わずか一晩で10万人もの犠牲者が出たのです。
この空襲から、米軍は軍事施設を標的にした攻撃から住宅街を無差別に空襲する作戦に変えたのでした。
東京の下町を一晩で焼け野原にした焼夷弾攻撃とはどんなものだったのでしょうか。かろうじて生き延びた人々の証言で振り返ります。
証言動画
この空襲を体験した方のインタビューをご覧ください。
インタビュー記事
みんな、明日があったはずなのに=二瓶治代さん
1945年3月9日、江戸川区の第一亀戸国民学校(現在の小学校)の2年生だった二瓶治代さん(80)は、学校から帰るといつものように仲の良い友達と遊んでいた。
このころは、3年生以上の児童は「集団疎開」で東京を離れていて、子どもが少なくなっていた。それだけに、残っていた同級生とは仲良く親密に遊んでいたという。
3月9日も夕方になるとみんな口々に「また、明日遊ぼうね」と言いながら家路に着いた、いつものように。
しかし、二瓶さんは、その時別れたきりその友達とは二度と会うことはなかった。その夜の空襲で死んでしまったからだ。
3月9日の深夜、300機を超える大型爆撃機 B-29が東京上空に姿を現した。これまでとあきらかに様子が違っていた。機体が異様に大きく見えたのだ。「機体が大きく見えた」、「B-29が炎の照り返しで真っ赤に見えた」と、空襲を生き延びた人の多くが証言する。
この日以前の、高度から軍事施設を標的にするという作戦を米軍は大きく変更した。低い高度から焼夷弾を投下して木造住宅を焼き払うという、事実上の無差別爆撃を行うことにしたのだ。この空襲はその皮切りだった。
北西の季節風が強く吹く晩だった。10日0時過ぎ、焼夷弾が落ち始めた。人々は防空壕や公園などに逃げ込んだ。B-29は、整然とそれぞれ指定された区域に焼夷弾を投下して行った。その数は38万発合計で1,700トンに上る、油脂の詰まった焼夷弾だ。すぐに密集した木造家屋に火が付いて、激しく燃え上がった。風にあおられて次々に建物に燃え移っていった。
二瓶さんは両親と妹の4人で防空壕に逃げ込んだ。しかし、炎が住宅を飲み込みながら近づいてきたため、飛び出して土手の上に逃れる。時が経つにつれ多勢の人々が詰めかけてきたが、そこにも火炎がせまり、人の体にも火がつき始めた。二瓶さんがかぶっていた防空頭巾にも火がついた。頭巾を取ろうと父親の手を離したとたん逃げ惑う人波に飲み込まれてしまう。その中で意識を失い、気付くと人々が自分の体にのしかかっていた。熱くて、息苦しいことと人々の叫ぶ声を覚えている。
夜が明けて、人間の体の下にいた二瓶さんは父親に助け出された。そこで二瓶さんが見たのは、死体の山。なかには炭のように焼けこげた人もいた。
江東区の「東京大空襲・戦災資料センター」。二瓶さんはここで、空襲体験を訪問者に語り続けている。
センター2階に展示されている一枚の絵。隅田川の上に浮かんだ雲と、その雲の上に乗っている多勢の子どもたちが描かれている。みな笑顔で、地上にいる人々を見下ろしている。二瓶さんは、この絵の中に3月9日の夕方別れた友達の姿を見ると言う。いつものような明日を迎えることのなかった子どもたちだ。
「これよしえちゃんだ、これまさおちゃんだって思って。今でもこんな形の雲を見ますとあそこに誰か私の友達がいやしないかと錯覚に襲われます。本当にもっと生きていてほしかった」
二瓶さんはその子どもたちのためにも、「東京大空襲」について語り続けることが使命だと考えている。
「あの子たちは、今もいつものような明日が来ると思っているはずです。そして、いつもの明日が来るという社会を守りつづけなくてはいけないんだと思っています」
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