太平洋戦末期、米軍が開発し日本の攻撃に投入した爆撃機「B-29」。この爆撃機が投下した爆弾や焼夷弾が日本中の都市を焼け野原にしたのです。この「B-29」が初めて日本本土に飛来してきたのは1944年6月16日。福岡県北九州の上空でした。当時最大の製鉄施設を持つ八幡製鉄所が標的でしたが、大きな被害が出たのは当時の小倉市にあった兵器工場「小倉陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)」でした。勤労動員されていた10代を中心とする若者約80人の命が一発の爆弾で奪われたのです。
その後、終戦間際の1945年8月8日、再び「B-29」が北九州・八幡を襲いました。大量の焼夷弾を今度は無差別に住宅街に投下し、2,500人を超す死傷者が出ました。街の中心にあった防空壕では避難していた300人もの人々が窒息死しました。一回の空襲の犠牲者としては、九州では長崎の原爆に次いで大きいものでした。
小倉陸軍造兵廠で家族を失った人、八幡大空襲で逃げ惑った人々の証言で綴る「北九州空襲」の記録です。
証言動画
この空襲を体験した方のインタビューをご覧ください。
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防空壕で妹3人窒息死山崎達さん
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インタビュー記事
妹3人「生きとったらな」=山崎達さん
「梅香(うめか)は小学校5年生。おとなしい、いい子だったですね」 「富士江(ふじえ)は小学校4年生。おっとりとした、やっぱりいい子だったな」 「喜美代(きみよ)は年長さん。『きゃんきゃん、きゃんきゃん』言いよった」
「可愛かった、3人とも。生きとったらなとか、なんでやられたんかなって。今でも思い出します」
1945年8月8日、現在の北九州市八幡東区が襲われた空襲で妹3人を失った山崎達さん(86)はとつとつと語る。
「あの時代はね、男は男だけで、女は女同士で遊びよった。(男子が女子と)遊んだらね、ばかにされよったんですよ」と前置きしつつ、正月に一緒にすごろくやトランプをしたことや、映画館に連れて行ったことなど、妹たちとの思い出は明瞭だ。
「『にいちゃん』『にいちゃん』って呼ばれていた。嬉しいよ、やっぱり。兄ちゃんだからね」
当時、山崎さんが暮らしていたのは現在のJR八幡駅近く。日本の軍事を支えた八幡製鉄所があったことから、米軍のターゲットとなった。
勤労動員先の炭鉱で空襲があったことを知らされ、急いで帰宅した山崎さんは焼き尽くされた街の景色を忘れられない。
「自分の家の場所が分からなかったんですよ。散髪屋さん、洋服屋さん、薬屋さん...。何があったって、頭にはあるけど、何も見えない。何もないんです」
夜になり、両親と合流した山崎さん。妹3人が防空壕に逃げ込んだものの、激しい攻撃で入り口が塞がれ、閉じ込められたことを聞かされた。当時、市内最大の防空壕。「そこなら安心って思っていたんですが」
翌朝、「あそこは全部だめだ」との噂を耳にした。
「一緒に行こう」。父親の誘いを山崎さんは拒んだという。「なんか複雑やったんですね。今思えば行けば良かったんでしょうが、それは後の祭りで。(現実を受け入れるのが)嫌だったんだね」
防空壕に避難していた住民約300人全員が犠牲に。「父が遺体を運ぶときに見たら(妹3人は)まだ生きていたときのような状態で、ものを言うような死に方だったって」
「あっちもこっちも戦争で、死んで、戦災に遭いましたって誰にも文句言いようがないですね。これが戦争かなって」
と振り返る山崎さん。
「戦争とは殺すこと以外何もないです。やっぱもう絶対やったらいかんですよ。何があろうが。どっちもいいことない、やった方も仕掛けられた方も。戦争とは一言で言えば殺すことですね。私の哲学はそれです」
取材:2016年9月、写真:山本宏樹そのほかの空襲記事
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