ロシアによるウクライナ侵攻から1年がたつ。戦争は、大人だけでなく子どもの生活も一変させた。空爆が続く中、授業を続けるキーウ市内の学校。そこには、給食中の空襲警報や避難壕(ごう)に響く愛国歌、そして、子どもたちの心の傷がにじむ絵など戦時下の学校生活の過酷な現実があった。「パパとハグしたい」「空襲警報が怖い」、幼い子どもたちの声を聞いた。
キーウ市内にある学校の正門前。約束の午前9時より少し早く着いた私たちの横を、親に付き添われた生徒が次々と登校していく。その日は冬至、まだ低い位置にある太陽の光は雲にも遮られていて心許ない。瞬く間に体の芯まで冷え込んでいく。
私たちが訪れたのは幼稚園と小学校低学年の子どもたちを対象とした学校だ。戦争前は約300人が在籍していたが、今は約150人になっている。戦時下のウクライナの子どもたちがどのように学校生活を送っているのか。
校長のヴィクトリアさんの案内で校舎に入ると、廊下は薄暗い。ロシア軍による電力インフラを狙った空爆が続き、キーウでは連日停電が起きていた。私たちが訪れた2022年12月は、電気が供給されるのは一日数時間程度だった。子どもたちは、この暗さと寒さの中で電気なしで勉強することを強いられる。
小学二年生の教室では、窓からの光をたよりに国語の授業が行われていた。しかし、ウクライナの冬の日の光は弱々しく、子どもたちの顔半分を青白く照らす程度だ。
休み時間に入ったところで、何人かの生徒が私のもとに集まってきた。日本の国旗とウクライナの国旗が描かれた手作りのプレゼントを渡してくれたり、少し恥ずかしそうに「私をインタビューしてくれませんか」と話しかけてくれたり...。
そのうちの1人ウリャーナさん。電気なしの学校生活について尋ねると、こう気丈に答えた。
「あまり大変ではありません。学校の窓からの明かりがありますから。なんでも見えます」
季節はクリスマスシーズンで、彼女の机には願い事が書かれたカードが置かれている。そこには、「ウクライナに平和、幸福、愛を。」と書かれていた。
お昼時になって、幼稚園生が食堂に集まってきた。停電していて調理室が使えないため、この日はパンと果物という質素な昼食だ。
子どもたちが食事を始めてすぐのこと、賑やかだった食堂が一瞬、静かになった。空襲警報が発令されたのだ。次の瞬間、子どもたちが一斉に立ち上がり移動を始める。
キーウの空襲警報は、けたたましく警報音が鳴るわけではない。先生のスマートフォンに空襲警報発令の知らせが届く仕組みだ。
先生の掛け声が響く。
「早く、早く!バッグを取りに行くよ。ジャケットを着て!」
防災バッグとジャケットを持った子どもたちは整然と、地下の避難壕に移動していく。ほぼ毎日一度は授業時間中に空襲警報が発令されるのだという。子どもたちにとって、空襲警報と避難壕への移動は日常の一部になりつつある。
避難壕といっても、もともとは倉庫として使われていた地下室だ。さまざまな配管が張り巡らされた天井の低い地下室は、ほこりっぽい匂いが充満している。
奥の少しひらけた空間に、100人余りの子どもたちがすし詰め状態になっていた。さっきまで給食を食べていた幼稚園生たちも大人しく小さな椅子に座っている。小学生たちは授業中だったのだろう、すぐに算数の教科書を開いて勉強を始めていた。暗い地下室で、バッテリー式のLEDライトを頼りに勉強をしている小学生の姿は悲壮で心が痛む。
低い天井や四方を囲むコンクリート剥き出しの壁は、嫌でもそこにいる人に圧迫感を与える。換気装置はなく、大人でもストレスを感じる空間だ。子どもたちはどれだけ長くこの空間で耐えられるのだろうか...。
そんなことを考えていると、先生の一人が大きな声で歌い始めた。瞬く間に子どもたちの大合唱が始まった。歌っているのは、有名なウクライナの愛国歌「ああ野の赤いガマズミよ」だ。
ほんの少し前まで、薄暗く閉塞感に満ちていた地下空間は、ナショナリズムの情熱に包まれた。
歌の大合唱が終わると、すかさず一人の先生が掛け声をかける。
「ウクライナに栄光あれ!」
すると、生徒たちは声をそろえてお決まりのスローガンで返す。
「英雄たちに栄光あれ!」
子どもたちの日常は戦争の影に覆われている。毎日おきる停電に、空襲警報、それに高揚するナショナリズム。そうした環境は子どもたちの心にどのような影響を与えているのか。ヒントとなるのが、子どもたちが描いた絵だ。学校の心理カウンセラーのマリナ・ダビデンコさんが絵を見せてくれた。
開戦前に子どもたちが描いた絵には、草花や川などの自然や虹などで色彩に満ちていた。それが、いま子どもたちが描くのは、ミサイルや戦車、破壊された家など戦争にまつわるものばかりになっている。ほぼすべての生徒が、ウクライナ国旗を描き込むも特徴的だという。
9歳のニキタさんは、自宅の上空を飛ぶミサイルの絵を描いた。絵に込めた思いはあまり語りたがらなかったが、こう漏らした。
「空襲警報が少し怖いです。戦争が終わってほしい」
ロシア軍による市民虐殺があきらかになったブチャの街を描いたサーシャさん。
「占領者がブチャの家を破壊したから絵にしました。われわれが勝利して、戦争が一日も早く終わってほしい」
紙を真っ黒に塗りつぶし、真ん中にろうそくの絵を描いた少女もいる。アリサさんはこう話す。
「戦争中であっても、暗くても灯りがあることを描きたかった。平和になって、普通の生活に戻りたいです」
心理カウンセラーのマリナさんによると、戦争が始まってから子どもたちに落ち着きがなくなり、中には悪夢を見る子どももいるという。
「今の環境は、子どもたちにとっては適切ではありません。それでも、心理カウンセラーとしては子どもたちが感情を絵で表現しているのは良いことだと思っています。子どもたちは遊びながら、創作しながら自らを癒やしているのです」
この小学校の取材で忘れられないインタビューがある。小学二年生の女の子、ワレリアさんとのインタビューだ。
――学校は好き?
はい、好きです。友達や優しい先生がいるし、勉強が好きです。
――電気がない中の勉強は大変じゃない?
いいえ。窓があって明るいので。
たあいもない質問で進んだインタビューだったが、冬休みの予定を尋ねたところでワレリアさんの父親は兵士として前線にいることがわかった。
――今年の冬休みは去年と少し違うかもしれないね?
はい。今年はママとラトビアに避難します。これから状況が悪くなるので避難しなければいけないと、戦場にいるパパに言われたんです。
――お父さんが戦場にいるの?
はい。
――お父さんは今どこにいるの?
キーウから遠いところってパパは言ったけど、どこにいるのかは言わなかったの。ママからも聞いていません。
――お父さんに戻ってきてほしい?
はい、とても。
――お父さんが戻ってきたら、何をしたい?
一緒にいたいし、ハグをしたいし、公園に散歩に行きたいです。
「パパとハグをしたいし、公園を散歩したい」――。彼女の素朴な願いに胸を打たれて、私は質問を継ぐこともできなくなった。
ウクライナの人々は日常をいま奪われている。
私たちが戦争を報道する時、「領土」や「資源」、「兵器」といった大きな視点からとらえがちだ。しかし、戦争を語る時にまず忘れてはいけないのは、市井の人々の日常が奪われているということではないか。
ワレリアさんが鈴の鳴るような声で言葉にしてくれた、ひかえめな願いは、平和の本質をとらえているように思えてならない。それはありふれているけれど、はかなくて尊いものだ。まるで、ウクライナの冬の日の光のように。
執筆:TBSテレビ 村瀬健介
取材:2022年12月
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