1945.4.26、5.10
死者数
49人
負傷者数
60人
来襲機の種別および機数
B29
主な被災地域
建馬町
被害の状況
セメント工場とアルコール工場が目標と見られる
焼失家屋戸数
25戸
焼失面積
不明
典拠資料
八代地方の災害史年表
1945.6.18~19
死者数
32
負傷者数
175
来襲機の種別および機数
B29(大牟田攻撃116機の一部か)
主な被災地域
四ツ山県境一帯、西原、万田、大正町、昭和町、上小路、普源寺など
被害の状況
隣接大牟田市と同時に攻撃を受け、主に焼夷弾により多くが罹災した。主な罹災施設には三池製氷工場がある。荒尾二造施設が1棟全焼。学校では荒尾第一国民学校校舎が被災し、火災が発生したが職員による消火活動により鎮火。
焼失家屋戸数
878戸(第1回・2回合計)
焼失面積
90,000坪(第1回・2回合計)
典拠資料
『荒尾市史 通史編』p.1362『建設省編 戦災復興誌 第四巻』 p.616『子どもと歩く戦争遺跡2』 p.6
1945.7.26~27
死者数
14
負傷者数
120
来襲機の種別および機数
B29(大牟田攻撃124機の一部か)
主な被災地域
四ツ山県境一帯、西原、万田、大正町、昭和町、上小路、普源寺など
被害の状況
隣接大牟田市と同時に攻撃を受け、主に焼夷弾により多くが罹災した。主な罹災施設には三池製氷工場がある。荒尾二造施設は更に1棟全焼。学校では荒尾第三国民学校校舎が焼失した。
焼失家屋戸数
878戸(第1回・2回合計)
焼失面積
90,000坪(第1回・2回合計)
典拠資料
『荒尾市史 通史編』p1362『建設省編 戦災復興誌 第四巻』 p.616『子どもと歩く戦争遺跡2』 p.6
1945.5.14
死者数
9
負傷者数
11
来襲機の種別および機数
グラマン、カーチスホーク 53機
主な被災地域
日窒工場(現JNC)及び工場社宅
被害の状況
約10分間の空襲。工場被害は硫安倉庫、分析係、酢酸係、繊維素係、合成修理工場への被害。社宅及び民家の被害。
焼失家屋戸数
22
焼失面積
不明
典拠資料
新 水俣市史
1945.7.27
死者数
3
負傷者数
0
来襲機の種別および機数
B29 約50機
主な被災地域
日窒工場のカーバイト炉及び浜町、竹之内町の民家
被害の状況
カーバイト工場の一部とビニレック工場が被害を受けた。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
新 水俣市史
1945.7.31
死者数
32
負傷者数
2
来襲機の種別および機数
B25 24機
主な被災地域
日窒工場、水俣駅前商店街、丸島地区、
被害の状況
日窒工場の有機ガラス部門、変流係、酢酸係、第二配電係、硫安倉庫。工場裏山の防空壕が被弾。従業員が生き埋めになった。水俣駅前商店街が焼野原に。丸島地区は、民家が被害にあった。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
新 水俣市史
1945.8.11
死者数
0
負傷者数
0
来襲機の種別および機数
P38 数機
主な被災地域
日窒工場 陣内社宅付近へ爆弾投下
被害の状況
社宅は、かなりの被害を受けた
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
新 水俣市史
1945.8.7、8.10 いずれも昼間
死者数
18人
負傷者数
20人
来襲機の種別および機数
グラマン戦闘機B29機数不明
主な被災地域
宇土町、笹原、走潟、緑川、網田など
被害の状況
焼夷弾と機銃掃射による攻撃。宇土町の住宅地、宇土国民学校、病院、工場、郵便局、宇土駅が標的となった。
焼失家屋戸数
301戸(罹災戸数)
焼失面積
45,000坪(罹災面積)
典拠資料
・『新宇土市史』 (通史編第3巻)・『新宇土市史』 (資料編第4巻)