「戦争に悪用されかねない」一度は諦めた学問の道 戦火を逃れ広島で追究 #ウクライナ侵攻1年

「工学は戦争に悪用されかねないと気付き、ショックを受けました」。軍事侵攻を受けて一度は大学院進学を断念した青年は、専攻を「平和で美しい数学」に変えて広島で学問を追究しています。原爆ドームに母国の光景を重ね、ミサイル攻撃が続く西部の都市・リビウの家族の無事を祈っています。(取材・文:広島テレビ放送 鶴紗也子)

来日して半年、徐々に慣れてきた日本での生活

広島大学理学部(広島県東広島市)に通う、アントン・クドリャフツォフさん。ウクライナ出身の22歳です。図形の性質を研究する幾何学の一種である「トポロジー」を学んでいます。

来日したのは2022年8月、大学と日本財団から1年間の学費や生活費の支援を受け、東広島キャンパス近くの学生寮で生活しています。学問とあわせて日本語の勉強にも励んでいます。ウクライナにいるとき、母国語と英語で読んだ村上春樹の本を日本語で読むことが目標です。いまではひらがなとカタカナは読めるようになりました。好きな日本語は「人。すごくシンプルな漢字で、人間の形に見えるからです」。

言葉の壁はあるものの、日本での生活には慣れてきたといいます。この日は、大学の食堂でそばを食べました。箸の使い方も慣れたものです。


自宅で聞こえた爆発音 ロシアへの怒り

2022年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻しました。アントンさんのふるさとは西部の都市リビウ。アントンさんが自宅にいるとき爆発音が聞こえました。驚いて外に出てみると、黒煙が上がっていました。ミサイルによる攻撃です。恐怖を覚えました。

当時、リビウにロシアの戦車や兵士がきて街を侵略することはありませんでした。一方で、ミサイル攻撃は頻繁にありました。軍事侵攻の最前線に近い町に住んでいた友人は、「戦争が始まった」というニュースを知り、国外に避難しました。日常が、突然奪われました。

「ロシアの行動に対して怒りを感じています。彼らは罪のない人々に攻撃をはじめました。ロシアは防衛の一環としてだというが、それは嘘です。ウクライナの人たちは、平和に暮らしたいし、国としてさらに発展したいのに、その発展する自由がロシアによって奪われました」


一度は断念した大学院進学 断ち切れず日本へ

アントンさんは2022年6月、「イワン・フランコ記念リビウ国立大学」を卒業しました。勉強熱心なアントンさんは、大学院に進学し、博士号を取得することを目指していました。しかし、軍事侵攻を受け、「このままでは研究を続けられない」と一時は大学院進学を諦めました。

断ち切れない勉学への思い――。自らインターネットで海外の大学を検索しました。そして見つけたのが広島大学です。

数ある大学の中から広島大学を選んだのは、自分の研究したい分野の教授が複数いるからです。広島大学にメールをし、オンライン面接などを経て、受け入れが決まりました。今は理学部の外国人研究生として、大学院進学を目指す日々です。

当初、父親は文化の違いを心配し、ヨーロッパの大学へ進学するよう勧めていましたが、母親が背中を押してくれました。

アントンさんが学びたいと希望した古宇田教授のもとで、日本の学生とともに学んでいます。同じ研究室の川上竜乃進さん(修士1年)は、アントンさんに刺激を受けているといいます。

「アントンさんはめちゃくちゃ真面目だと思います。この短期間でこんなに数学のレベルが高くなってるのは、相当勉強してるんだなと思って、自分も頑張らなきゃとすごく思っています」

「戦争に悪用される」ショック受け一変した学問への考え

実は、アントンさんはウクライナの大学では工学を専攻していました。軍事侵攻が学問への考え方を一変させたのです。

「私は、この侵略は危険で、工学は武器製造に使われるという重要な部分に注目していなかったことにショックを受けました。将来、そのような侵略の責任を負いたくないので、もっと平和的な数学を選ぶべきだと思いました」

武器の製造など、戦争に悪用されかねない工学ではなく、「平和で美しい数学を学びたい」――。アントンさんが感じたのは、学問を究めた先にある過酷な現実でした。

広島大学大学院 先進理工系科学研究科 古宇田悠哉 教授
「目標はまず大学院の入試をパスすることで、それに向けてやっています。レベルとしてはかなり高いところにもういっているかなと思います。この調子で続ければ、研究の方にもシフトしていけるんじゃないかなというふうには思っています」

専攻ではない数学の授業についていけるのか不安でしたが、それは杞憂に終わりました。アントンさんは今、学べる幸せをかみしめています。


原爆ドームで感じた核兵器の恐怖

日本での暮らしも慣れ、観光にも出かけています。「とても印象的だった」のは、広島城。もともと日本文化に興味があったわけではなりませんが、ウクライナで黒澤明監督や今敏監督などの映画を見たことがありました。小津安二郎監督の「東京物語」の舞台となった尾道や、竹原、宮島にも行ってみたいと言います。

一方、平和公園では冷静ではいられませんでした。

原爆ドームは、戦争の惨禍を今に伝えています。折れ曲がった鉄骨や散乱するがれきに、ウクライナの光景が重なりました。原爆資料館には足を踏み入れることができませんでした。

いっこうに出口の見えない軍事侵攻。ロシアのプーチン大統領は、核兵器の使用もちらつかせました。被爆地で怒りと不安を感じたアントンさんは、核兵器による攻撃を恐れています。

「広島は原爆を落とされて悲惨な結果になった。残虐だった。とても悲しいことですが、歴史上『ヒロシマ』を繰り返すことは許されません。私は核兵器を禁止すべきだと思います。人間にとってあまりにも危険すぎて持つべきではありません」


家族と連絡が取れないことも 絶えない心配

両親と祖母、弟は今も戦渦のウクライナで暮らしています。家族への心配は絶えません。ミサイル攻撃により発電所が被災しました。病院などの電源を確保するため、住宅では頻繁に停電が起きます。インターネット回線も不安定で、連絡がとれない時があり、もどかしさを感じます。

「今は家族も無事ですが、心配です。何か起こるのではないかと不安です」

はじめのうちは慣れない異国の地での生活に、緊張が解けず苦労しました。しかし、もしウクライナで生活を続けていればさらに大きな不安と警戒感、恐怖を抱えていました。自分が日本で感じているものとは比べものになりません。日本で頑張ることが、自分にとって、国にとってもプラスになる。今置かれている環境に感謝し、前を向くことにしました。

「私にチャンスを与えてくれた広島大学のような美しく平和な場所で、緊張することなくできる限りの研究や努力を続けようと思います」

人々の命や暮らしだけでなく、軍事侵攻は『学びたい』という純粋な心をも打ち砕きました。故郷の家族の無事を願いながら、遠く離れた広島で日常の大切さをかみしめます。

取材・文:広島テレビ放送 鶴 紗也子

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