地下駐車場で避難生活 ウクライナ・ハルキウの子どもたち

2022年4月、ロシアによるウクライナ侵攻開始から、約2か月が経過した。同国第2の都市ハルキウでは、爆撃を逃れ、地下駐車場に寝泊まりしている人々がいる。その中の子どもたち5人に爆撃や避難生活、平和への希望について語ってもらった。(文:AFP=時事 翻訳編集:AFPBB News)

ロシアによるウクライナ侵攻開始から、約2か月が経過した4月。同国東部にある第2の都市ハルキウ(Kharkiv)では、爆撃を逃れ、地下駐車場に寝泊まりしている人々がいた。

ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で避難生活を送る人々(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で避難生活を送る人々(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP

紛争前は約150万人が暮らしていたハルキウ。昼夜を問わず、ロシア軍のロケット弾が降り注ぎ、前線に近い住宅地が標的にされた。

寒く、湿気を帯びた地下駐車場は、急ごしらえの避難所と化していた。ブランケットだけのベッドの横にはプラスチックの食器が無造作に置かれた簡易テーブルがある。足元には缶詰めや食料の入った瓶が並べられている。薄暗いコンクリートの空間に子どもたちの声が響く。

家族やペットと共に避難していた8歳から14歳の子ども5人が、爆撃や避難生活、平和への希望についてAFPに語った。

■「戦争はすぐに終わる」 アリーナさん(9)女子

ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で家族と避難生活を送るアリーナさん(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で家族と避難生活を送るアリーナさん(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP

2月24日に目が覚めた時は、とても怖くて、震えていました。最初の夜は椅子の上で寝たけれど、それからお父さんとお母さんがベッドを運んできてくれました。私たち子どもはベッドで寝て、お父さんたちは椅子で寝ました。

たくさん泣くようになりました。爆弾の音やサイレンが聞こえると、ここを離れた親戚や友達のことがとても心配になります。そしてロシアに近い村から逃げたおばあちゃんのことも。

逃げたいとは思いません。ここは私の街。私が生まれた場所だから。

朝はインターネットで学校の授業を受けて、昼は宿題。夜はみんなでここに来ます。

キックボクシングとダンスの習い事に行けない。それが寂しいです。

2月25日は誕生日でした。お父さんとお母さんは、家に帰って何かおいしいものを作ろうとしていましたが、爆撃がありました。私は不安で、震えていました。誕生日だったのに、戦争が始まった2日目で、祝ってもらえませんでした。

戦争に勝てたらいいなと思います。戦争が早く終わって、誕生日や新年をお祝いできますように、すぐに終わらないかもしれませんが、数週間で終わりますようにと誕生日に願い事をしました。

来年の誕生日は花火でお祝いしたいです。こんなもの(爆弾)ではなくて。

■「今もまだよく分かっていません」 アレックスさん(14)男子

ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で家族と避難生活を送るアレックスさん(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で家族と避難生活を送るアレックスさん(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP

(侵攻開始直後)父の昔の仕事場の誰かが、荷物や書類を持ってウクライナ西部かどこかへ逃げろと電話をかけてきました。でも、父は首を縦に振らず、うちはハルキウに残ると言いました。最初の週は恐怖を感じましたが、その後は慣れました。

最初の日は家でニュースを聞いていました。その後、みんながここに来ているのを両親が見て、僕たちも来ることにしたのです。テーブルや椅子を運んできてベッドにしました。

初めの頃、(この駐車場には)人が大勢いて、身動きもできないくらいでした。その後、半数ぐらいの人たちがここを去りました。戻ってきた人も何人かはいます。

友達、学校、キックボクシング教室がなくて寂しいです。

平日の朝は家に帰って宿題をします。お昼ごはんを食べに戻ってきて、それからゲーム。カードや携帯電話、あとはボードゲームなんかです。毎日そんな感じです。

サイレンが鳴ったら、すぐに(地下駐車場に)下りなければならないし、銃の音が聞こえた時も下りた方がいい。もし、家に帰る途中で銃の音を聞いたら(駐車場に)下りるか、帰宅して廊下にいたほうがいい。その二つがたぶん、安全な場所です。

両親は戦争についてあまり話そうとしません。ミサイルが建物や公園に落とされていることは知っています。でも僕は何が起きているのか、今もまだよく分かっていません。なぜなのかも。分かっているのは、人が死んでいるということだけです。

■「次の日には終わると思った」 ダニエルさん(13)男子

ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で家族と避難生活を送るダニエルさん(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で家族と避難生活を送るダニエルさん(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP

始まった時はすごく緊張しました。最初の攻撃は聞こえませんでした。お母さんが僕を起こして「ダニエル、戦争が始まったよ」と言いました。

最初に思ったのは、僕たちはこれからどうするんだろうってこと。逃げればいいのか、近くに防空壕(ごう)なんてあるのか。特にどこかに逃げたいとは思いませんでした。他の街とか、国とか。どこにも行かないで、ここにいたいと思いました。

初めの何日間かは、そんなに心配していませんでした。何が起きているのか、本当に分かりませんでした。本当に起きていることじゃないみたいで、次の日には終わると思っていました。でも、今は分かります、あす終わることはないと。

ここに下りてきた時は、多過ぎるくらい人がいました。街全体が移り住んだのかと思いました。最初のうちは何日か、段ボール箱の上で寝ました。

普段は起きたら、朝ご飯を食べて、友達と遊んで、少しだけバンカー(地下駐車場)から出ます。授業はビデオ会議サービス「ズーム(Zoom)」でやって、宿題もインターネットでやります。

爆発やサイレンのない平和が来てほしいです。朝起きてお母さんが「ダニエル、終わったよ」って言ってくれる時が勝利の日なんだと思います。

ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で避難生活を送る人々(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で避難生活を送る人々(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP

■「戦争をするべきじゃない」 キリルさん(13)女子

(2月24日に)朝起きた時は、花火だと勘違いしました。何が起きたのか聞こうと思って友達に電話したら、みんなパニックになっていました。お母さんは病院で働いているので、呼び出されました。

(最初に)友達とここに来た時は閉まっていました。その後、家族と一緒に来ました。真っ暗で汚かったけど、次の日、みんながソファを持ってきて、過ごしやすくなりました。

1週間で終わると思ったのに、もう2か月もたっています。

怖がっている人が大勢いるけど、私は怖くありません。それよりもみんなの役に立ちたいと思っています。ここにいる人はみんな知っているので、親切にしたいです。

もちろん平和に暮らしたいです。誰も戦争をするべきじゃありません。いつの日か、戦争は終わるんです。

■「きれいな空気を吸いたい」 リリアさん(8)女子

ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で家族と避難生活を送るリリアさん(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で家族と避難生活を送るリリアさん(2022年4月24日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP

おばあちゃんからの電話でお母さんは起こされました。おばあちゃんは「ロシアが攻撃を始めた」とお母さんに話していました。それを聞いたらとても怖くなり、泣いてしまいました。

おばあちゃんの家に着くと、みんなはバンカー(地下駐車場)に行くと言うので、一緒について行きました。最初の日は200人ぐらいいました。とても寒かったです。それからずっとここで寝泊まりしています。

ここはすごくほこりっぽくて嫌いです。きれいな空気を吸いたい。

前は、ダンス教室に通って、フィギュアスケートも習っていました。でも今はもうありません。

私にとって戦争の終わりは、(兄と姉の)アレックスとアリーナとお誕生日を祝えるようになること。そして一緒にバーベキューをするんです。誰一人欠けることなく。

ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で避難生活を送る人々(2022年4月23日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP ウクライナ・ハルキウの地下駐車場で避難生活を送る人々(2022年4月23日撮影)。(c)SERGEY BOBOK / AFP

取材:2022年4月

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