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田村さんの祖父母・沖山正行と文子さん(戦後、八丈島にて)母方の祖父母・沖山正行と文子、及び母・田村雪子(84)の話です。母は昭和16年生まれで、戦時中、サイパン島で過ごしていたそうです。祖父は南大東島出身ですが開発事業のため、祖母は沖縄本島から見習いの従業員としてサイパン島に行っていたそうです。そこで結ばれ母が誕生しました。サイパン島は雪が降らないから本土を懐かしんで「雪子」と名付けられたそうです。名付けたのはサイパン島の牧師さんです。
サイパンに住んでいたときの田村雪子さん戦後は、祖父の本籍地である東京都の八丈島に無事に帰還するのですが、私も幼い頃、夏休みは、祖父母のいる八丈島に遊びに行き、それとなく戦中の話を聞きました。
母が生まれた後、戦局は悪化の一途を辿り、壮絶な局面が続いたそうです。祖父は民間人でしたが、手榴弾を渡され、「アメリカ兵に追い詰められたら自決しなさい」と言われていたそうです。当時のサイパン島と言えば言わずとも有名ですが、祖父母と幼い母も、他のご家族達と逃げ続ける中、大人達は幼子を抱き、途中で靴がボロボロになれば亡くなられた兵士達の靴を脱がして履き替え、飲水もなく、血まみれの水溜りの水をすくって生き延びたそうです。また、命からがら逃げ続ける中、バンザイクリフで母子と乳飲み子が身投げをしたとも聞きました。一緒に身投げするつもりで、先に乳飲み子だけを海に投げ入れ、その後恐怖で自分は身投げ出来なかった方もいたそうです。
そんな過酷な状況の中、祖父母と母は、海岸沿いの大きな岩を隔ててアメリカ兵に追い込まれました。威嚇発砲をされ、その流れ弾か砕けた岩の破片が母の耳辺りに当たり、血が噴き出したそうです。当時、祖父母たちは「アメリカ兵に見つかったら殺される」と聞いていたので、岩1つ隔てて「何とか見つからないように」と、母を抱きしめ声を殺して「泣くなぁ」と言って聞かせたそうです。母は、幼いながらも、声一つ上げなかったそうです。
しかし、複数の家族で逃げている中、「もう駄目だ」と思った祖父達は、白い肌着を脱ぎ、降参の白旗を振るように岩の上から白い肌着を振ったそうです。そうしたらアメリカ兵達も攻撃をせず保護されたそうです。
その後、祖父母と母は、祖父の本籍地がある八丈島に引きあげました。ご近所に同じサイパン島から命からがら戻って来たご夫婦がいて、そのご夫婦は、当時母と同じくらいの乳飲み子をバンザイクリフから投げてしまい、母が遊んでいる姿を見ていたたまれなくなったのか、八丈島から引っ越ししてしまったようです。祖父母は亡くなりましたが、母は現在84歳でまだ健在です。祖父母と母の当時の体験を共有することで、少しでも世の中の平和の一助になれればと思います。
戦後の田村雪子さん(夫・田村義順さん、孫・田村芭瑠子さんとともに)
戦後の田村雪子さん(孫・田村麗奈さん、田村晃司さんとともに)
■投稿者
千葉県 田村総一郎さん(52)
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