このページでは「#きおくをつなごう」に関連する番組や記事を見た方から、TBS/JNNの情報提供フォームに寄せられたお話を掲載しています。(公表に際し、表現を修正している場合があります)
前列左から得能喜美子さん、母、兄、姉、後列に父(昭和12年5月2日新京にて撮影)母、得能喜美子(とくのうきみこ 旧姓四家=よつや)は、1944年4月から、父親(私の祖父)の仕事の関係で、当時、日本の統治下にあった朝鮮北東部の羅津(ラシン、ラジンとも 現在は羅先=ラソン)に家族5人で住んでいました。父親は満州電信電話株式会社(通称満州電電)羅津支店に勤務していたのです。
左から得能喜美子さん、兄、父、姉、妹、母(昭和19年11月3日羅津にて撮影)終戦間際の1945年8月9日夜、軍港でもあった羅津上空に突如として多くのソビエト(現ロシア)軍爆撃機が襲来、無差別爆撃により、羅津は、軍港に停泊していた日本の軍艦、輸送船なども含め一夜にして壊滅状態になりました。ウラジオストクから飛行機なら15分ほどの距離でしかない羅津は、その気になれば空爆は簡単。日ソ不可侵条約を破棄し、対日参戦布告をしたソビエトにとっては格好の標的だったのです。防空壕に逃げていた母たち一家5人は、辛うじて全員無事でしたが、このままでは危険と感じた母の両親は、娘3人(母は次女=当時15歳)とともに、かき集められるだけの食料をリュックに詰め、付近の森に逃避することにしました。多くの避難民も思いは同じだったようでその森に集まっていました。このとき母は「いずれ日本は絶対勝つのだから、これは一時の辛抱だ」と思っていたそうですから、"洗脳"ともいえるような戦前、戦中の教えは恐ろしいものです。すぐに現実は違うことを思い知らされるのですが...。
母は、雑踏の中で両親や3歳の妹とはぐれ、6歳違いの姉と二人だけになってしまいます。そして、姉とともに、祖国日本に引き揚げるための朝鮮半島縦断の過酷な旅が始まることになります。(ちなみに母の両親と妹は、旧満州の新京=現在の長春経由などで、無事帰国しました)
移動の手段は、他の避難民も同様でしたが、基本的に徒歩です。もちろん、満足な食料などありません。物乞いや、道端の草などで空腹を補い、川や水溜まりの水を飲み、渇きを癒しました。餓死者、病死者は数知れず、多くの乳飲み子が、道端に置き去りにされ、息絶えている姿も目にしました。また、若い女性がソ連兵に強姦される光景は日常的だったと聞きます。明日は我が身との恐怖におびえながらの難民生活は、まさに地獄だったそうです。
しかし、母は姉と二人、「生きて日本に帰りたい!」一心で、なんとか板門店にたどり着き、決死の思いで38度線を突破、釜山からの引き揚げ船で1946年秋、博多に戻り、祖国の土を踏むことができました。
得能喜美子さんが自費出版した書籍その1年以上に及ぶ絶望的ともいうべき日々を、今から15年前、母は意を決して「奇跡の道程(みちのり)」という本にまとめ自費出版しました。今年の8月で95歳になる母(ともに帰国した伯母は11年前、89歳で他界)は、今も、足腰は少々弱ったものの、ほとんど介護の必要もなく、元気に生活しています。
現在の得能喜美子さん(95)戦争が引き起こす悲劇を繰り返さないためにも、母の体験を多くの方に知っていただきたいとの思いで、投稿させていただきました。もちろん、私も"きおくをつなごう"の意識は人一倍です。
■投稿者
千葉県・四家秀治さん(67)
太平洋戦争終結から長い年月が経ち、当時の記憶をつなぐ「人」や「もの」が失われています。
記憶を発掘して次の世代につなぎ、戦争を二度と起こさないために、JNNのニュースサイトTBS NEWS DIGとYahoo!ニュースは共同で「#きおくをつなごう」プロジェクトをはじめました。
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