「どうぞ 触ってください」 3代で受け継がれる日本で初めての私設戦争資料館

War Museum兵士・庶民の戦争資料館

3代にわたり従軍した武富家に残る遺品と、全国から寄せられた遺品を通して「本当の戦争の姿」を伝える、全国でもめずらしい私設の資料館が「兵士・庶民の戦争資料館」です。わずか約30平方メートルの館内に並べられた遺品の数々。その手触り、重さ、硬さ。実際に触れてみてはじめて辿れる戦争の記憶と、物が静かに語り継ぐ平和への願いとは――

01 Artifacts 寄贈された遺品

千人針

兵士のために、1人1針で1000人が縫って渡したお守り。「生きて帰ってきて」という気持ちが込められている。

千人針

軍服

兵隊になったばかりの二等兵が着た陸軍の軍服。物資が不足するにつれて、生地の質も悪くなっていった。

軍服

大下敏郎戦中日記

日中戦争で後方支援に従事した大下敏郎さんは、戦場や戦友の様子を細かく記録し、密かに腰に巻いて日本に持ち帰った。

大下敏郎戦中日記

ポスター

敵国の国旗を踏みつけ、敵陣に突っ込む瞬間を描いた陸軍省のポスター。戦意高揚のために全国に掲示された。

ポスター

レーション

インドネシアのレンパン島に抑留された兵士の糧食。食料や医薬品のほか、戦友の遺骨代わりに島の石を持ち帰った。

レーション

タスキ・旗

当時婦人会の構成員は、このタスキを肩にかけて街頭で千人針をお願いし、兵士が入営・出征する際は旗を作って見送った。

タスキ
旗

出征の旗

出征時には、「祝」と書かれた旗を立て大々的に送り出した。国のために戦地で奉公することは名誉なこととされていた。

出征の旗

慰問文

女生徒たちは慰問文を通じて、戦地の兵士と交流した。イラスト付き便せんや、自筆の絵を描いて送る人もいた。

「ヘイタイサンへ」

ヘイタイサンオゲンキデスカ
ワタクシモゲンキデベンキヤウヲシテイマス。コナイダウンドウクワイガアリマシタ。
ワタクシハ一トウデシタ
ワタクシハウレシクテタマリマセンデシタ
ソノトキリクグンビヤウインノヘイタイサンガミニコラレマシタ。
コチラハカンカンヒガテッテイマス
サヤウナラ

ヘイタイサンへ 王江一ー三
長嶺晴子

慰問文

02 History なぜ、登巳男は資料館を作ったのか

武富登巳男の写真

自身の壮絶な戦争体験

陸軍の二等兵として出征し、飛行部隊の曹長として終戦を迎えた武富登巳男(たけとみとみお)さんは9年にわたり戦地を転々としましたが、とくに満州・東寧での任務は過酷を極めました。氷点下30度の吹雪の中、真夜中でも叩き起こされて行進させられ、「敵との戦いの前に寒さとの戦いだった」といいます。中には精神に異常をきたしてソ連側へ脱走する者や、自ら命を断つ者もいました。

武富登巳男の写真

登巳男さんは、ソ連と満州の国境付近にある東寧で訓練に励んだ。
厳しい寒さに耐えるため、顔以外はすべて毛皮で身を包み防寒する必要があった。

氷点下30度の中を、防寒具を身につけて歩哨に立つこともあるが、足もとから冷えてきて化石になるのではないかと、恐怖で身が縮まる思いがした。

(『夜香花』P39)

外套

外套・ペット供出

氷点下30度を下回る極寒の地では、肌を出せばすぐに凍傷になるため、毛皮で作った防寒外套※が欠かせなかった。そこで、国は全国から犬や猫などのペットを供出させ、兵士数十万人分の毛皮を確保した。1着の外套で、約4頭分の動物の命が奪われたといわれている。役所が発行した受領書には、「畜猫 壱匹」と記載されている。

※外套(がいとう)… オーバーコート

抵抗しようにも銃も弾もなく、食べる物もなくなると哀れなもので、飢え死にするしかない。

(『夜香花』P106)

背嚢

背嚢・水筒・飯盒

歩兵は食料や衣料や飯盒を背嚢※に入れ、その上にテントや毛布、合羽などを載せて背負った。重量は35キロに及び、1日平均25キロを行軍したという。また、命をつなぐ水は死ぬまで手放すことはなく、戦死者の水筒は生きている者に引き継がれた。水筒にはいくつもの名を刻んだ跡が残り、なかには銃弾が貫通したものもある。

※背嚢(はいのう)… リュックサック

そして終戦を迎えた

青春時代のすべてを戦地で過ごし、数多くの戦友を失った登巳男さんには、「自分だけが生き残ってしまった」という負い目があった。しかし、終戦から4半世紀が過ぎ、戦争が次第に風化し始めたことを感じた登巳男さんは、「二度と戦争をしてはならない」と伝えるために、武富家3代の戦争資料を自宅で公開することを決意する。

戦争というものの本質と、自分の戦争体験を若い人や子どもたちに伝えようと決心した。

(『夜香花』P138)

資料館の写真 ガリ版冊子

ガリ版戦記・初代資料館

祖父の日露戦争と父親の第一次世界大戦の資料に加え、登巳男さんが戦地から送った品々も、「形見になるかもしれない」と思った父によって保管されていた。飛行部隊全員で戦友の死を悼んだ、ガリ版刷りの追悼録もある。小さな看板を掲げた「兵士・庶民の戦争資料館」はたちまち町の噂になり、子どもたちの平和教育の場となっていった。

次世代に引き継がれる戦争資料

登巳男さんの死後、資料館は息子の慈海(じかい)さんが引き継いでいます。「戦後生まれの私は、実体験として戦争を語ることができません。しかし、戦争の惨禍と平和への願いは、後世に遺された“物”が語ってくれます。ここでは、遺品に自由に触れることができます。軍服を着て、背嚢を背負う。そんな追体験を通じて、子どもたちに命の大切さをありありと実感してもらいたいのです」と慈海さんは語ります。

富登慈海の写真
資料館の写真

登巳男さんの想いに共鳴した全国の遺族から遺品が寄贈され、いまでは約2000点に及ぶ資料が館内に所狭しと展示されています。戦争体験を風化させることなく、平和への思いを次世代に引き継ぐために、今日も無料で開館しています。

兵士・庶民の戦争資料館

住所: 福岡県鞍手郡小竹町大字御徳415-13
アクセス: JR筑豊本線「小竹駅」から車で5分
開館時間: 13:30-17:00 / 定休日: 毎週水曜、木曜
※訪問の際は事前にご連絡ください(武富慈海 0949-62-8565)
『ふれてください戦争に』が8月5日発売(燦葉出版社 2,500円税別)

兵士・庶民の資料館を360度画像で体感する

上下左右の好きな方向に動かせます。
右下のフルスクリーンボタンで、より大きな画像で楽しめます。