普通の人々の生活を通じて、戦争中という“一つの時代”を
リアルに描いたアニメーション映画『この世界の片隅に』。
この映画の監督・脚本を務めた片渕須直監督に、
作品に込めた戦争と平和への思いを伺いました。
「戦争中であっても、今を生きる自分たちと
重ねられる部分が多々あると思ったんです」
戦争中の人々の生活を考えるとき、私たちはまず先入観で戦争というものに相対していたのではないかと思うんです。
戦争中とは、こんな時代だ。その中で生きていたのは、こういう人たちだと。本当にそうなのだろうか。もう一度捉え直す必要があると考え、『この世界の片隅に』では、戦争中であっても一般の人々の暮らしが特別ではなかった側面はたくさんあるはずだと思い、いろいろと調べて描いているんです。
それによって当時の人々がより身近に感じられるでしょうし、今を生きる自分たちと重ねられる部分が多々あると思ったんです。
例えば、戦争中の女性の服装として普通思い浮かべるのはもんぺ姿だと思うんですね。戦争中といっても長い期間にわたりますから、いったいいつから女性たちはあんな格好になったんだろう、と疑問を抱いてみました。調べてみると、男性の国民服は、その着用を命じる『国民服令』が昭和15(1940)年秋に法制化されていて、そこから男の人たちはあんな画一的な格好になったんだな、とわかりましたが、女性にもんぺを義務化するような法律は出ていなかった。戦争真っ只中の頃の写真を見ても、みんなスカートを履いていたり和服の着流し姿なんですよ。それが、昭和18(1943)年晩秋から履く人が増えてた。それは実は、配給制になった燃料の流通がうまくいかず、家の中が寒かったために防寒用として履くようになったから。必要に迫られたうえでのことだったのだと。その翌年春の新聞を見ると、「暖かくなると、もんぺを脱ぎたがる人が増えて、時局的じゃない」なんて記事が載っている。そして、昭和19(1944)年11月から空襲が本格化してくると、退避のためにもんぺを履きだし、しまいには靴を履いて鉄かぶとを被ったまま寝るようにまでなる。これも必要に迫られてです。
なぜ、女性たちはギリギリまでもんぺを履かなかったのか。当時の雑誌などを読むと、その理由も実に簡潔に書かれていました。「格好悪いから。おしゃれじゃないから」だと。彼女たちは戦前に、おしゃれなんかもある普通の生活を送っていた。現代の女性と感覚は変わりません。
そうした感覚を携えたまま生活しているのに、周囲の社会の方がグラデーションのように戦争の色を濃くしていった。
そんなふうに、今とあの時代の人々の距離感の小ささをつかまえていけば、「やっぱり、あの時代は特別だったんだ。われわれは違う」という思いに染まらなくて済むのではないかと思うんです。普通におしゃれを好む普通の人たちなのに、もんぺみたいなものを履くしかなくなり、その頭の上に爆弾が降ってくるようにまでなってしまう。そういう理解こそが大事だと思うんです。
「戦争中に書かれた一般の人の日記を読むと
皮膚感覚で理解できることがたくさんあります」
戦争中という時代を体験した人が、語り残したこと、本に書き残したことなどは、それこそ膨大なものがあります。でも、ふと思うと、そこで述べられていたのは、「戦争中だから味わった特別なこと」がほとんどだったのじゃないか。もっと普通のときに、普通の一般人は、どんなことをして、どんなふうに暮らしていたのでしょうか。まさにリアルタイム、戦争中に書かれた日記なんかを読んでみると、いいんですね。まるで違う印象を受けることがあるんです。
例えば、女学生の絵日記を見ると、肩からかけた雑嚢に花やどうぶつの縫い取りがしてあるのが描かれていたり。あるいは、勤労動員として呉市の海軍工廠で働いていた中学生の日記には、「今日は戦艦大和のてっぺんまで登らせてもらった。本当に大きかった」なんてことが書いてあったり。その同じ日記には、その日の天気や咲いた花のことが書かれていたりもする。
戦争中の季節感って、あまり考えることはないと思うんですが、そういう記述を読むと皮膚感覚で理解できることがたくさんあるわけです。この空襲があった何月何日は、そうか、今日と同じこのお天気、同じような気温、同じような花が咲いている日の出来事だったんだな、とか。
将来、戦争の語り部がいなくなったとして、それでも戦争を体験していない自分たちが後世に伝えていかなけれならないとき、そうした皮膚感覚も携えていられれば。そう願うのです。
「桜が咲く時期にあの公園にいると、
平和な時代なのだと感じるんです」
花のことで思い出しましたが、偶然なのですが、なぜかここ数年、桜の花のシーズンには広島の平和記念公園にいて、そこで桜を見ているんですよ。のどかな公園で、お花見の人がくつろいでいる。平和を感じる光景です。あそこは原爆が落ちたほとんど真下、特別な場所ではあるけれど、時にはごく普通ののどかな公園でもある。自分たちのよく知ってる「普通」と、戦争は、そんなふうに重なり得るのです。
僕たちが普段つくるアニメーションというのは、想像力で世界を描くのを常套手段にしていますが、映画『この世界の片隅に』は、ちょっと違っているかもしれません。自分たちの想像なんかには頼らず、そういうものはむしろできるだけ廃して、それよりも、あらゆる方法で時代考証を行い、まず作り手である自分たちが「ここにはその時こんなものがあり、こういう人がいた。本当はこうだったんだ」と理解を進めて、作り上げた作品なんです。映画をご覧になった方が「すずさんの横で2年間過ごしたような気持ちになった」と言ってくださることが多くて。そこから始まる何かがあることに期待したいです気持ちです。
今年の12月に公開される映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』では、今度は原作のエピソードの9割ぐらいまでを描くことになります。
前の『この世界の片隅に』に登場した建物を、新情報を得て描き直したところなどもあります。それと同時に、より深く人の心に立ち入っていくことにもなるのじゃないかと思います。そんな今度の映画を楽しみにしていただければと思います。
片渕須直 かたぶちすなお
アニメーション映画監督。1960年生まれ。監督作である映画『マイマイ新子と千年の魔法』は、当初には上映スクリーンが少なかったが、多くの観客に指示されてロングランとなり、次作『この世界の片隅に』は各種の映画賞を総なめにし、1000日を越える超ロングランとなっている。
今年12月20日には、新規映像を加えた映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開。
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』公式サイト
https://ikutsumono-katasumini.jp/(外部サイト)
©2018こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
2019年8月1日配信