1944.12.19~20
死者数
185人
負傷者数
159人
来襲機の種別および機数
左記の期間、合計、B29、44機
主な被災地域
大阪府・市内各所
被害の状況
左記の期間、合計、焼夷弾466、爆弾147投下
焼失家屋戸数
1,233戸
焼失面積
不明
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか
1945.3.13~14
死者数
3,987人
負傷者数
8,500人
来襲機の種別および機数
B29、274機
主な被災地域
大阪市/浪速区、西区、南区、港区、大正区、東区、西成区、天王寺区
被害の状況
焼夷弾1,733トン投下
焼失家屋戸数
13,6107戸
焼失面積
21.0平方キロメートル
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか 「新修大阪市史 第七巻」
1945.3.17~25
死者数
10人
負傷者数
11人
来襲機の種別および機数
左記の期間、B29、2機、F6F等約450機
主な被災地域
大阪府・市内各所
被害の状況
左記の期間、合計、焼夷弾1,800、爆弾23投下、および機銃掃射
焼失家屋戸数
10戸
焼失面積
不明
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか
1945.6.1
死者数
3,112人
負傷者数
10,095人
来襲機の種別および機数
B29、458機、P51少数
主な被災地域
大阪市/港区、此花区、大正区、福島区、北区、天王寺区、東区、大淀区
被害の状況
焼夷弾2,789トン、機銃掃射
焼失家屋戸数
65,183戸
焼失面積
8.2平方キロメートル
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか 「新修大阪市史 第七巻」
1945.6.7
死者数
2,759人
負傷者数
6,682人
来襲機の種別および機数
B29、409機、P51、138機
主な被災地域
大阪市/都島区、大淀区、旭区、淀川区、東淀川区、福島区、北区、豊中市
被害の状況
焼夷弾、爆弾2,594トン、機銃掃射
焼失家屋戸数
58,165戸
焼失面積
5.7平方キロメートル
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか 「新修大阪市史 第七巻」
1945.6.15
死者数
477人
負傷者数
2,385人
来襲機の種別および機数
B29、444機
主な被災地域
大阪市/西淀川区、天王寺区、生野区、東成区、西成区、淀川区、北区、東区
被害の状況
焼夷弾3,157トン
焼失家屋戸数
53,112戸
焼失面積
4.9平方キロメートル
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか
1945.6.26
死者数
681人
負傷者数
983人
来襲機の種別および機数
B29、173機
主な被災地域
大阪市/此花区、福島区、西淀川区、城東区(住友金属と造兵廠)
被害の状況
爆弾1,140トン
焼失家屋戸数
10,423戸
焼失面積
不明
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか
1945.7.9~24 (7.10 堺空襲を除く)
死者数
18人
負傷者数
53人
来襲機の種別および機数
左記の期間、合計、P51、330機
主な被災地域
大阪府・市内各所
被害の状況
機銃掃射、ロケット弾
焼失家屋戸数
28戸
焼失面積
不明
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか
1945.7.10
死者数
1,394人
負傷者数
1,574人
来襲機の種別および機数
B29、116機
主な被災地域
堺市、大阪市/住吉区、貝塚市
被害の状況
焼夷弾779トン
焼失家屋戸数
16,488人
焼失面積
2.6平方キロメートル
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか 「新修大阪市史 第七巻」
1945.7.24
死者数
214人
負傷者数
329人
来襲機の種別および機数
B29、117機
主な被災地域
大阪市/此花区、城東区、東区(住友金属と造兵廠)、守口町
被害の状況
爆弾704トン
焼失家屋戸数
893戸
焼失面積
不明
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか
1945.7.25~7.30 (7.26を除く)
死者数
75人
負傷者数
258人
来襲機の種別および機数
左記の期間、小型機580機、艦載機150機
主な被災地域
大阪府・市内各所
被害の状況
爆弾約34、機銃掃射、小型爆弾
焼失家屋戸数
117戸
焼失面積
不明
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか
1945.7.26
死者数
4人
負傷者数
85人
来襲機の種別および機数
B29、1機
主な被災地域
大阪市東住吉区
被害の状況
模擬原爆1
焼失家屋戸数
421戸
焼失面積
不明
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか
1945.8.1~8
死者数
17人
負傷者数
36人
来襲機の種別および機数
左記の期間、B29、P51、20機、小型機多数
主な被災地域
大阪府・市内各所
被害の状況
小型爆弾、焼夷弾、機銃掃射
焼失家屋戸数
198戸
焼失面積
不明
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか
1945.8.14
死者数
359人
負傷者数
33人
来襲機の種別および機数
B29、145機、小型機若干
主な被災地域
大阪市/東区、城東区(造兵廠)
被害の状況
爆弾707トン
焼失家屋戸数
1,843戸
焼失面積
不明
典拠資料
「写真で見る大阪空襲」、ピースおおさか
1945.3.13
死者数
4人
負傷者数
16人
来襲機の種別および機数
B29 機数不明
主な被災地域
錦綾町 香ヶ丘町 浅香山町
被害の状況
錦綾町東部、香ヶ丘町、浅香山町の一体に焼夷弾が投下され、愛泉女学校、大阪電機学校および付近民家が猛炎に包まれる。
焼失家屋戸数
158戸
焼失面積
不明
典拠資料
堺市史続編第二巻 平和いのち堺戦災関係資料集
1945.6.15
死者数
8人
負傷者数
57人
来襲機の種別および機数
B29 機数不明
主な被災地域
新町 瓦町 戎之町 熊野町
被害の状況
堺市役所付近上空で焼夷弾が投下され、新町、瓦町、戎之町、熊野町東部、一条通乃至六条通一帯に落下。
焼失家屋戸数
295戸
焼失面積
不明
典拠資料
堺市史続編第二巻 平和いのち堺戦災関係資料集
1945.6.26
死者数
4人
負傷者数
10人
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
戎島櫛屋町
被害の状況
主として350キロ爆弾が投下される。戎島二丁の三和鉄工所をはじめ、多くの民家が壊滅する。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
堺市史続編第二巻 平和いのち堺戦災関係資料集
1945.7.10
死者数
1,860人
負傷者数
972人
来襲機の種別および機数
B29 116機
主な被災地域
大浜竜神 宿院
被害の状況
主として油脂および黄燐性の焼夷弾が雨のように投下され、旧市内は完全に火の海と化する。
焼失家屋戸数
18,009戸
焼失面積
不明
典拠資料
堺市史続編第二巻 平和いのち堺戦災関係資料集
1945.8.10
死者数
0人
負傷者数
2人
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
耳原町
被害の状況
小型艦載機が堺市上空に飛来し、低空より耳原町付近に機銃掃射を加え、重傷者1名、軽症者1名をだす。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
堺市史続編第二巻 平和いのち堺戦災関係資料集
1945.2.4
死者数
0人
負傷者数
0人
来襲機の種別および機数
B29 69機
主な被災地域
春木大小路町、下池田町、三田町、岡山町
被害の状況
B29に何らかのトラブルが起こり、指示された目標の神戸を爆撃できなくなったので、焼夷弾や環層爆弾を岸和田市域に投下したものと思われる。
焼失家屋戸数
0戸
焼失面積
不明
典拠資料
岸和田市史 第4巻
1945.3.17
死者数
0人
負傷者数
0人
来襲機の種別および機数
B29 1機
主な被災地域
阿間河滝町、福田町
被害の状況
亜間河滝町の民家を中心として、田圃、蜜柑畑、山林内にテルミット弾約1200個が落下。福田町の田圃中に油脂爆弾約600個が落下。
焼失家屋戸数
4戸
焼失面積
不明
典拠資料
岸和田市史 第4巻、第8巻
1945.3.19
死者数
3人
負傷者数
8人
来襲機の種別および機数
F6F 18機、F4U16機
主な被災地域
岸和田港沖、泉佐野沖
被害の状況
伊丹・大正の両飛行場を目的としていた艦載機が、泉州沖を航行中の2隻の船舶に機重掃射を加えた。
焼失家屋戸数
-
焼失面積
-
典拠資料
岸和田市史 第4巻、第8巻
1945.7.10
死者数
1人
負傷者数
11人
来襲機の種別および機数
B29 116機
主な被災地域
中之浜町
被害の状況
堺市街地を目標とした爆撃の際、岸和田市にも焼夷弾を投下。
焼失家屋戸数
178戸
焼失面積
不明
典拠資料
岸和田市史 第4巻、第8巻
1945.8.6
死者数
2人
負傷者数
0人
来襲機の種別および機数
P51 約70機
主な被災地域
春木町
被害の状況
府内の飛行場を目標とした爆撃の際、紡績工場に爆弾を投下。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
岸和田市史 第4巻、第8巻
1945.6.7
死者数
541人
負傷者数
283人
来襲機の種別および機数
B29約250機、B24若干(大阪空襲)
主な被災地域
刀根山、本町、千里園、玉井町、桜塚、走井、小曽根、豊南、庄内
被害の状況
住宅地域および神崎川右岸工業地帯爆撃
焼失家屋戸数
2481戸(全焼全焼1654戸、半焼半壊827戸)
焼失面積
不明
典拠資料
新修豊中市史『通史2』
1945.6.15
死者数
18人
負傷者数
13人
来襲機の種別および機数
B29約300機(大阪空襲)
主な被災地域
本町、玉井町、千里園、走井、曽根、長興寺、今在家、上津島
被害の状況
焼夷弾攻撃
焼失家屋戸数
301戸(全焼285戸、半焼16戸)
焼失面積
不明
典拠資料
新修豊中市史『通史2』
1945.6.26
死者数
14人
負傷者数
30人
来襲機の種別および機数
B29約100機(大阪空襲)
主な被災地域
曽根
被害の状況
100キロ爆弾や1トン爆弾4個投下
焼失家屋戸数
172戸(全壊57戸、半壊115戸)
焼失面積
不明
典拠資料
新修豊中市史『通史2』
1945.7.9
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
P51約10機(大阪北部空襲)
主な被災地域
伊丹飛行場
被害の状況
飛行場を主に銃爆撃
焼失家屋戸数
3戸(全焼)
焼失面積
不明
典拠資料
新修豊中市史『通史2』
1945.7.22
死者数
0人
負傷者数
1人
来襲機の種別および機数
P51約200機(大阪空襲)
主な被災地域
南刀根山、麻田、中豊島、小曽根
被害の状況
銃爆撃
焼失家屋戸数
8戸(全焼3戸、半焼5戸)
焼失面積
不明
典拠資料
新修豊中市史『通史2』
1945.7.30
死者数
2人
負傷者数
7人
来襲機の種別および機数
空母艦載機約40機(大阪周辺飛行場空襲)
主な被災地域
伊丹飛行場、刀根山、蛍池、麻田
被害の状況
銃爆撃
焼失家屋戸数
2戸(全壊)
焼失面積
不明
典拠資料
新修豊中市史『通史2』
1945.3.19
死者数
0
負傷者数
0
来襲機の種別および機数
艦載機(主にF6F)
主な被災地域
上池田町・(東)畑町・桃園町(ダイハツ池田工場内)
被害の状況
・小型爆弾を投下・人的被害はなし
焼失家屋戸数
0
焼失面積
不明
典拠資料
大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班編『「池田空襲」の記録』1976
1945.6.7
死者数
6
負傷者数
14
来襲機の種別および機数
B29・戦闘機
主な被災地域
畑町(呉羽の里住宅・府立池田中学校)・中川原町・吉田町
被害の状況
・第3次大阪大空襲によるもの・焼夷弾・小型爆弾を投下・大阪府立池田中学校は4棟焼失・半焼1、半壊2、罹災者77
焼失家屋戸数
25
焼失面積
不明
典拠資料
大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班編『「池田空襲」の記録』1976
1945.6.15
死者数
7
負傷者数
20
来襲機の種別および機数
B29
主な被災地域
五月山・綾羽町(大広寺・陽春寺ほか)・西本町・中之島町・東市場町
被害の状況
・第4次大阪大空襲によるもの・焼夷弾を投下・罹災者245
焼失家屋戸数
70
焼失面積
不明
典拠資料
大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班編『「池田空襲」の記録』1976
1945.6.26
死者数
0
負傷者数
0
来襲機の種別および機数
B29か?
主な被災地域
不明
被害の状況
・第5次大阪大空襲によるもの・半焼6・詳細不明
焼失家屋戸数
1
焼失面積
不明
典拠資料
大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班編『「池田空襲」の記録』1976
1945.7.9
死者数
0
負傷者数
0
来襲機の種別および機数
P51
主な被災地域
大阪第二飛行場と周辺
被害の状況
・小型爆弾を投下・銃撃・主に隣接する大阪第二飛行場へ攻撃
焼失家屋戸数
0
焼失面積
不明
典拠資料
大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班編『「池田空襲」の記録』1976
1945.7.22
死者数
2
負傷者数
1
来襲機の種別および機数
P51
主な被災地域
西市場町・宇保町・中之島町・大和町
被害の状況
・銃撃
焼失家屋戸数
0
焼失面積
不明
典拠資料
大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班編『「池田空襲」の記録』1976
1945.7.24
死者数
0
負傷者数
1
来襲機の種別および機数
艦載機・B29
主な被災地域
宮ノ前町(飛行場入口)
被害の状況
・第7次大阪大空襲によるもの・銃撃・小型爆弾投下・半焼1・詳細不明
焼失家屋戸数
0
焼失面積
不明
典拠資料
大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班編『「池田空襲」の記録』1976
1945.7.30
死者数
2
負傷者数
1
来襲機の種別および機数
小型機
主な被災地域
宮ノ前町(千歳住宅)
被害の状況
・爆弾を投下・全壊2戸、半壊3戸、罹災者9
焼失家屋戸数
0
焼失面積
不明
典拠資料
大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班編『「池田空襲」の記録』1976
1945.8.1
死者数
0
負傷者数
0
来襲機の種別および機数
P51
主な被災地域
宮ノ前町(大阪第二飛行場入口)、尊鉢町(宣真高等女学校)周辺
被害の状況
・銃撃
焼失家屋戸数
0
焼失面積
不明
典拠資料
大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班編『「池田空襲」の記録』1976
1945.7.9
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
米軍機280機
主な被災地域
上条地区 大津浦海上
被害の状況
不明
焼失家屋戸数
1軒
焼失面積
不明
典拠資料
泉大津市史第1巻下 本文編2
1945.7.21
死者数
1
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
寿重工業株式会社
被害の状況
社員1名が死亡
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
泉大津市史第1巻下 本文編2
1945.7.28
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
上條小学校
被害の状況
不明
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
泉大津市史第1巻下 本文編2
1945.3.19
死者数
2人
負傷者数
0人
来襲機の種別および機数
艦載機
主な被災地域
原(千原橋付近)
被害の状況
小型爆弾による攻撃(羅災者数は4名)
焼失家屋戸数
半焼壊1戸
焼失面積
不明
典拠資料
わが街たかつきの戦争の記録
1945.6.7
死者数
2人
負傷者数
1人
来襲機の種別および機数
B29
主な被災地域
真上(現緑が丘2丁目)
被害の状況
羅災者数は10名(牛1頭死亡)
焼失家屋戸数
半焼壊2戸
焼失面積
不明
典拠資料
わが街たかつきの戦争の記録
1945.6.15
死者数
1人
負傷者数
2人
来襲機の種別および機数
B29
主な被災地域
芝生(現芝生町1丁目)西冠(現西冠1丁目)
被害の状況
焼夷弾による攻撃羅災者数は42(7)名(牛1頭焼死)(電車高槻駅付近不通)
焼失家屋戸数
全焼壊10戸半焼壊2戸
焼失面積
不明
典拠資料
わが街たかつきの戦争の記録
1945.7.9
死者数
0人
負傷者数
0人
来襲機の種別および機数
P51
主な被災地域
三島江〔三箇牧村〕
被害の状況
銃撃三島鴨神社拝殿全焼(そだ炎上)
焼失家屋戸数
全焼壊1戸半焼壊1戸
焼失面積
不明
典拠資料
わが街たかつきの戦争の記録
1945.7.28
死者数
0人
負傷者数
4人
来襲機の種別および機数
小型機
主な被災地域
野見神社付近国鉄高槻駅付近(列車)
被害の状況
銃撃、小型爆弾による攻撃(神社土塀破損)機関車1台故障
焼失家屋戸数
0戸
焼失面積
不明
典拠資料
わが街たかつきの戦争の記録
1945.7.30
死者数
0人
負傷者数
4人
来襲機の種別および機数
小型機
主な被災地域
上牧国道付近〔五領村〕国鉄富田駅〔富田町〕
被害の状況
銃撃高圧線1カ所断線
焼失家屋戸数
(半焼壊1戸)
焼失面積
不明
典拠資料
わが街たかつきの戦争の記録
1945.6.7
死者数
2
負傷者数
9
来襲機の種別および機数
(B29 250機、B24少数機)
主な被災地域
(第三次大阪大空襲)
被害の状況
不明
焼失家屋戸数
全焼9、半焼17
焼失面積
不明
典拠資料
『枚方市史』第4巻、769-771頁
1945.6.15
死者数
不明
負傷者数
1
来襲機の種別および機数
(B29 300機以上)
主な被災地域
(第四次大阪大空襲)
被害の状況
不明
焼失家屋戸数
全焼13、半焼3
焼失面積
不明
典拠資料
『枚方市史』第4巻、769-771頁
1945.6.26
死者数
1
負傷者数
2
来襲機の種別および機数
B29 100機
主な被災地域
(第五次大阪大空襲)
被害の状況
枚方町内に約40発の焼夷爆弾が投下され、機銃掃射も加えられた
焼失家屋戸数
全壊5、半壊12
焼失面積
不明
典拠資料
『枚方市史』第4巻、769-771頁
1945.7.10
死者数
1
負傷者数
1
来襲機の種別および機数
P51
主な被災地域
香里陸軍病院
被害の状況
銃撃
焼失家屋戸数
全焼1
焼失面積
不明
典拠資料
『枚方市史』第4巻、769-771頁
1945.7.24
死者数
5
負傷者数
15
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
枚方製造所(第七次大阪大空襲)
被害の状況
小型爆弾6
焼失家屋戸数
半焼2
焼失面積
不明
典拠資料
『枚方市史』第4巻、769-771頁
1945.7.30
死者数
不明
負傷者数
2
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
樟葉駅付近国道
被害の状況
トラック銃撃、高圧線2本切断
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『枚方市史』第4巻、769-771頁
1945.7.30
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
造兵廠寄宿付近
被害の状況
小型爆弾5、水田中、被害なし
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『枚方市史』第4巻、769-771頁