1945.4.4
死者数
398人 (214)
負傷者数
516人 (215)
来襲機の種別および機数
第73航空団:B29-113機
主な被災地域
神奈川区、鶴見区、港北区、西区平沼町、川崎市
被害の状況
立川飛行機が目標とみられ、約4,562発の爆弾が投下。
焼失家屋戸数
1,163戸 (765)
焼失面積
不明
典拠資料
「横浜の空襲と戦災」 「市史通信」第22号
1945.4.15
死者数
972人 (345)
負傷者数
2,212人 (654)
来襲機の種別および機数
第313・314航空団:B29-219機
主な被災地域
鶴見区、神奈川区、港北区、保土ケ谷区、西区、南区、磯子区、中区、川崎市
被害の状況
川崎市街地が目標とみられ、約154,711発の爆弾が投下。
焼失家屋戸数
52,655戸 (19,181)
焼失面積
不明
典拠資料
「横浜の空襲と戦災」「市史通信」第22号
1945.5.29
死者数
3,787人 (3,649)
負傷者数
12,391人 (10,197)
来襲機の種別および機数
第58・73・313・314航空団:B29-510機/P51-101機
主な被災地域
中区、南区、西区、神奈川区、保土ケ谷区、鶴見区、磯子区、川崎市
被害の状況
横浜市街地が目標とみられ、約392,271発の爆弾が投下。
焼失家屋戸数
79,350戸 (78,949)
焼失面積
不明
典拠資料
「横浜の空襲と戦災」 「市史通信」第22号
1945.6.10
死者数
136人
負傷者数
494人
来襲機の種別および機数
第58航空団:B29-33機
主な被災地域
中区、磯子区
被害の状況
日本飛行機富岡工場が目標とみられ、約711発の爆弾が投下。
焼失家屋戸数
144戸
焼失面積
不明
典拠資料
「横浜の空襲と戦災」 「市史通信」第22号
1942.4.18
死者数
0
負傷者数
工員数人、市民3人
来襲機の種別および機数
B25 1機
主な被災地域
横須賀海軍基地
被害の状況
「ドーリットル空襲」/横須賀海軍基地内に3個の爆弾と焼夷弾を投下(数不明)/1. 楠ヶ山2. 機械工場付近3. 第四船渠及び入渠改装中の潜水母艦「大鯨」に被害。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『新横須賀市史 別編軍事』・『同 資料編近現代3』・『同 近現代通史編』
1944.11.24
死者数
3
負傷者数
2
来襲機の種別および機数
B29 1機
主な被災地域
横須賀市逸見町(現、山中町)
被害の状況
横須賀市境葉山町-爆弾3個/個人宅地付近と畑、市境付近)
焼失家屋戸数
家屋1棟半壊
焼失面積
不明
典拠資料
聞き取り「教員生活と山中町空襲」(『市史研究横須賀』第15号、2016年)
1945.2.16~17
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
米海軍艦載機・第5艦隊第58任務部隊
主な被災地域
横須賀市(市街地・大津町・汐入・浦賀・浦郷・追浜他市内各地)。
被害の状況
(基地)追浜飛行場に対する機銃掃射・ロケット弾で滑走路に被害(民間)機銃掃射及び炸裂した高角砲の断片による住宅火災
焼失家屋戸数
(久里浜)家屋1全焼 (大津)家屋半焼1、全焼3
焼失面積
不明
典拠資料
『新横須賀市史 別編軍事』・『同 通史編』・高村聰史「米英海軍による空襲と横須賀」(『市史研究横須賀』第13号、2014年)
1945.2.25
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
米海軍艦載機・第5艦隊第58任務部隊
主な被災地域
横須賀市小田和
被害の状況
(長井飛行場)機銃掃射による航空施設への攻撃
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『新横須賀市史 別編軍事』・『同 通史編』・高村聰史「米英海軍による空襲と横須賀」(『市史研究横須賀』第13号、2014年)
1945.7.10
死者数
数名
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
米海軍艦載機・第3艦隊第38任務部隊-60機(F6F-5)
主な被災地域
横須賀市追浜・浦郷
被害の状況
(追浜飛行場・第一技術廠)機銃掃射・ロケット弾による攻撃
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『新横須賀市史 別編軍事』・『同 通史編』・高村聰史「米英海軍による空襲と横須賀」(『市史研究横須賀』第13号、2014年)
1945.7.18
死者数
(「長門」乗組員)約35名。(民間)21名。基地内戦死者数含まず。
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
米海軍艦載機・第3艦隊第38任務部隊-585機
主な被災地域
横須賀市稲岡・楠ヶ浦・泊・汐入・長浦・追浜…
被害の状況
(基地)主として戦艦「長門」と工廠に対する爆撃と機銃掃射(民間)基地に対する攻撃時の誤爆・逸れ弾による被害…汐入駅周辺・国民学校など。駆逐艦1・潜水艦1・海防艦ほか小艦艇5
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『新横須賀市史 別編軍事』・『同 通史編』・高村聰史「米英海軍による空襲と横須賀」(『市史研究横須賀』第13号、2014年)
1945.7.30
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
米海軍艦載機・第3艦隊第38任務部隊(F6F‐5)
主な被災地域
横須賀市長井
被害の状況
無線通信施設、一部破壊
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『新横須賀市史 別編軍事』・『同 通史編』・高村聰史「米英海軍による空襲と横須賀」(『市史研究横須賀』第13号、2014年)
1945.7.16
死者数
328人以上※平塚の空襲と戦災を記録する会調べ
負傷者数
330人※神奈川県警調べ
来襲機の種別および機数
B29 133機
主な被災地域
平塚市・茅ヶ崎市・大磯町・二宮町・小田原市
被害の状況
平塚市商店街の旧飯島デパート附近(現まちかど広場)を攻撃目焦点とした半径1.2キロメートルの範囲内に積載したM50焼夷弾・M47油脂焼夷爆弾、計約41万本の50%以上を投下する作戦により平塚市外を含む広範囲に被害が発生。
焼失家屋戸数
8,269戸
焼失面積
不明
典拠資料
平塚の空襲と戦災を記録する会編『市民が探る平塚空襲 通史編1 平塚空襲の実相』(平塚市博物館 2015年)
1945.2.10
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29 1機
主な被災地域
御所見村
被害の状況
山林・畑地に爆弾を投下(3個、被害なし)
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
「県下における空襲被害一覧表」(『神奈川県警察史』中巻所収)
1945.2.16
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
艦載機 273機
主な被災地域
不明
被害の状況
不明
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
同上
1945.2.17
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
艦載機 320機
主な被災地域
不明
被害の状況
不明
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
同上
1945.4.2
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29 60機
主な被災地域
不明
被害の状況
一部が辻堂上空に入る
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
同上
1945.5.17
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29 1機P51 40機
主な被災地域
不明
被害の状況
不明
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
同上
1945.5.24~25
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
不明
被害の状況
藤沢署管内に焼夷弾360発が投下、罹災者9名
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
神奈川県警察の調べ(引用は『藤沢市史』第6巻、pp794-795)
1945.7.30
死者数
5名(4名即死、1名重症、翌日死亡)
負傷者数
数名
来襲機の種別および機数
艦載機 315機
主な被災地域
関東特殊製鋼辻堂工場(艦載機約20機)
被害の状況
小型爆弾(100s位)20数発焼夷弾相当数大型機関銃掃射
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『関東特殊製鋼五十五年史』p16
1945.8.13
死者数
なし
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
艦載機 200機
主な被災地域
関東特殊製鋼辻堂工場(艦載機数機)
被害の状況
工場施設の被害は軽微(7月30日に比して)
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『関東特殊製鋼五十五年史』同上、p17
1945.7.17、8.5、8.13、8.15
死者数
48
負傷者数
40
来襲機の種別および機数
アメリカ軍戦闘機(P51、機数不明)B29、1機
主な被災地域
早川村、国府津町、下曽我村、足柄村、小田原町8月15日未明は、現在の小田原市浜町一丁目から本町二丁目にかけての地域
被害の状況
市内各所における機銃掃射及び爆撃。7月17日夜間の空襲はB29による焼夷弾投下(平塚空襲の帰途)8月15日未明の空襲はB29、1機による焼夷弾投下(熊谷・伊勢崎空襲の帰途)
焼失家屋戸数
484
焼失面積
不明
典拠資料
『小田原市史通史編 近現代』『撃ちぬかれた本』