1945.3.10
死者数
3
負傷者数
5
来襲機の種別および機数
B29(1機)
主な被災地域
盛岡鉄道管理部及び工機部・機関区並びに盛岡駅前と旧大沢川原小路
被害の状況
焼夷弾の投下による空襲により、商店街並びに一般住宅において、全焼147戸・半焼8戸の計155戸が焼失し、罹災者は655人に及ぶ。(年表では罹災者数は613人となっている。)
焼失家屋戸数
155
焼失面積
不明
典拠資料
『盛岡市政100周年記念誌‐古都盛岡21世紀への躍進‐』
1945.7.14~15
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
グラマン(機数不明)
主な被災地域
盛岡駅周辺
被害の状況
太平洋岸に現れた米機動艦隊は、両日にわたって釜石に艦砲射撃を行い大被害を与えた。艦載機は内陸部に飛来し、一般市民に機銃掃射を加えた。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『岩手県市町村地域史シリーズ2盛岡の歴史下』
1945.8.10
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
盛岡駅周辺
被害の状況
米艦隊から発進した艦載機による空襲は、岩手県の主要都市に及んだ。盛岡市は当時の国鉄盛岡工場の被害と、盛岡ガス株式会社が被害を受け、それぞれ休業に追い込まれた。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『盛岡市政100周年記念誌‐古都盛岡21世紀への躍進‐』
1945.7.14
死者数
0
負傷者数
0
来襲機の種別および機数
不明 2機
主な被災地域
藤原上区
被害の状況
偵察機2機が、閉伊川にかかる宮古橋を目標に爆弾1発を投下、目標をはずれ鋸切屑小屋1棟が破損と考えられる。
焼失家屋戸数
1
焼失面積
不明
典拠資料
伊藤幸男(私家版)「宮古空襲その全貌」(完結版)
1945.8.9
死者数
2
負傷者数
2
来襲機の種別および機数
F6F-5、2機ほか、小型機10数機
主な被災地域
宮古湾内(鍬ヶ崎・藤原・磯鶏・白浜)
被害の状況
宮古湾内の船舶が目標と考えられる。海軍輸送船「刈藻丸」が銃撃とロケット弾攻撃により沈没。宮古湾内の小型船舶(ダルマ船)6隻が爆撃、銃撃を受け3隻が沈没。
焼失家屋戸数
0
焼失面積
0
典拠資料
伊藤幸男(私家版)「宮古空襲その全貌」(完結版)
1945.8.10
死者数
16
負傷者数
12
来襲機の種別および機数
F6F-5、6機、TBM-3、6機
主な被災地域
宮古市内(宮古の町と港)、重茂村
被害の状況
宮古精錬所(藤原)、岩手窯業所(鍬ヶ崎)、藤原、向町、宮古駅前で火災発生。旧制宮古中学校、_ヶ埼灯台、三井造船所などが主な目標。
焼失家屋戸数
藤原440戸向町11戸
焼失面積
不明
典拠資料
伊藤幸男(私家版)「宮古空襲その全貌」(完結版)
1945.7.14
死者数
249(艦砲射撃含)(諸説あり)
負傷者数
146(艦砲射撃含)(諸説あり)
来襲機の種別および機数
不明約40機
主な被災地域
釜石市大渡町
被害の状況
釜石製鉄所が目標とみられ、機銃掃射及び爆撃とともに艦砲射撃が行われ、工業地域の大半が焼失
焼失家屋戸数
約1,500戸(艦砲射撃含)
焼失面積
不明
典拠資料
釜石艦砲戦災誌
1945.8.9
死者数
133(諸説あり)
負傷者数
365(諸説あり)
来襲機の種別および機数
不明約20機(諸説あり)
主な被災地域
釜石市大渡町
被害の状況
中心市街地が目標とみられ、7月14日に行われた空爆及び艦砲射撃の被害を免れた、商店街、住宅地域は、一部を残して焼失
焼失家屋戸数
約1,470戸(艦砲射撃含)
焼失面積
不明
典拠資料
釜石艦砲戦災誌