1945.8.2
死者数
300人超
負傷者数
重傷者数 144人 軽傷者数 1149人
来襲機の種別および機数
B29 167機
主な被災地域
水戸駅、水戸城などの市街地
被害の状況
「水戸は常磐線の主要なサービスセンターで、その都市部は隣接する非常に重要な日立工場のための労働力の供給源であり、また下請けの中心」であったため、目標とされ、市街地中心に爆撃された。
焼失家屋戸数
10,104戸 (罹災戸数)
焼失面積
不明
典拠資料
水戸空襲戦災誌 水戸市平和記念館展示パネル
1945.6.10
死者数
886人
負傷者数
716人
来襲機の種別および機数
B29爆撃機108機
主な被災地域
日立製作所海岸工場会瀬・相賀・弁天・鹿島町
被害の状況
日立製作所海岸工場へ1トン爆弾806発の攻撃。工場の建物9割以上が破壊。爆弾は工場周辺にも落ち、市民が犠牲になる。
焼失家屋戸数
1,486戸
焼失面積
海岸工場19万9100平方メートル破壊。
典拠資料
『日立戦災史』(日立市の戦災と生活を記録する市民の会編 日立市 1982年)
1945.7.17★空襲ではなく艦砲射撃★
死者数
436人
負傷者数
410人
来襲機の種別および機数
アメリカ第三艦隊5戦艦(ウイスコンシン・ミズーリ・アイオワ・ノースカロライナ・アラバマ)、2隻の軽巡洋艦(アトランタ・デイトン)
主な被災地域
大字宮田から助川の山麓一帯多賀町の住宅地
被害の状況
日立鉱山電錬工場、日立製作所山手工場・電線工場・多賀工場へ870発の16インチ砲弾が打ちこまれる。多くの砲弾は工場に命中せず、周辺の住宅地で爆発した。
焼失家屋戸数
637戸
焼失面積
多賀工場29棟損壊。
典拠資料
『日立戦災史』(同上)
1945.7.19
死者数
133人
負傷者数
119人
来襲機の種別および機数
B29爆撃機127機
主な被災地域
日立市街地・豊浦町・多賀町・久慈町・十王町伊師浜
被害の状況
日立市街地に対して1万3900発、964トンの焼夷弾を投下。
焼失家屋戸数
約1万1,000戸
焼失面積
助川と宮田の市街地の7割ちかく
典拠資料
『日立戦災史』(同上)
1945.7.26
死者数
1人
負傷者数
数人
来襲機の種別および機数
B29爆撃機1機
主な被災地域
日立製作所山手工場脇の道路
被害の状況
日立鉱山電錬工場を目標に4.5トンの模擬原爆を投下、工場内の11棟建造物の屋根に損害。
焼失家屋戸数
山手工場1棟の屋根
焼失面積
不明
典拠資料
『日立戦災史』(同上)『新修 日立市史下巻』(日立市 1996年)『一九四五年七月二六日、日立』(島崎和夫編 1993年)
1945.7.16
死者数
2人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
1機(種別不明)
主な被災地域
土浦駅構内から川口東崎方面
被害の状況
空襲警報もサイレンもなく、低空で1機来襲し繋蹄爆弾を投下。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
土浦市史(914~915頁)
不明
死者数
75人
負傷者数
81人
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
土浦
被害の状況
・終戦の年の繋蹄爆弾による被害・霞ヶ浦海軍航空隊の空襲火災のさいの消防車転覆による死者・土浦海軍航空隊空襲のときの土浦在住海軍々人の被災者・艦載機による被弾家屋 など
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
土浦市史(916頁『茨城県終戦処理史』より)