1945.1.3
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29 90機
主な被災地域
不明
被害の状況
マリアナ基地を飛び立ったB29 90機のうち、主力が名古屋を攻撃し、その一部が大阪、神戸を空襲した。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
神戸市史
1945.2.4
死者数
26人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29 85機
主な被災地域
兵庫区の工場地帯と民家、兵庫区、林田区、長田区、須磨区、小野浜海上
被害の状況
二時間余りのうちに、爆弾50個、焼夷弾3,696個を投下し、兵庫区の工場地帯と民家を爆撃し、川崎、三菱の両造船所に打撃を与えるとともに、民家1,800戸以上を消失させた。
焼失家屋戸数
全焼全壊家屋…1,857戸 延焼半壊…約84戸
焼失面積
不明
典拠資料
神戸市史
1945.3.17
死者数
約2,700人
負傷者数
約6,200人
来襲機の種別および機数
B29 69機
主な被災地域
市内の西半分(兵庫区、林田区、長田区、葺合区)
被害の状況
夜間空襲では、油脂エレクトロン焼夷弾33,952個が投下され、市内の西半分が壊滅した。
焼失家屋戸数
全焼全壊家屋…約68,000戸 延焼半壊…約6,000戸
焼失面積
不明
典拠資料
神戸市史
1945.5.11
死者数
1,093人
負傷者数
824人
来襲機の種別および機数
B29
主な被災地域
神戸市東部の灘区と東灘区(当時の武庫郡御影町、魚崎町、住吉村、本庄村、本山村)
被害の状況
東灘区青木の川西航空機甲南製作所を目標として、1トン爆弾が投下された。
焼失家屋戸数
全焼全壊家屋…約1,200戸 延焼半壊…約1,500戸
焼失面積
不明
典拠資料
神戸市史
1945.6.5
死者数
3,453人
負傷者数
6,000人
来襲機の種別および機数
B29 350機
主な被災地域
垂水区から西宮にかけての広範囲
被害の状況
大量の焼夷弾と中小型爆弾がに投下され、それまでの空襲で残っていた神戸市の東半分が焦土と化した。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
神戸市史
1945.6.22
死者数
341人
負傷者数
350人、行方不明10人
来襲機の種別および機数
B29 58機
主な被災地域
姫路市城東町(川西航空機(株)姫路製作所周辺)
被害の状況
城東町の飛行機工場が目標とみられ、周辺地域に大型爆弾を投下。
焼失家屋戸数
555戸(全半焼戸数)
焼失面積
26万坪
典拠資料
「米軍作戦任務報告書」、「復興の歩み」、姫路市戦災地域図、「市勢要覧」姫路市
1945.7.3~4
死者数
173人
負傷者数
160人、行方不明4人
来襲機の種別および機数
B29 106機
主な被災地域
姫路市街全域
被害の状況
姫路市の全域が目標とみられ、焼夷爆弾を投下。
焼失家屋戸数
10,287戸(全半焼戸数)
焼失面積
93万坪
典拠資料
「米軍作戦任務報告書」、「復興の歩み」、姫路市戦災地域図、「市勢要覧」姫路市
1945.3.13~14(夜間)
死者数
1
負傷者数
7
来襲機の種別および機数
B29・295機
主な被災地域
記載なし
被害の状況
大阪市街地域を目標とし、周辺地域に焼夷弾1732.6tを投下
焼失家屋戸数
288(全焼278 半焼10)
焼失面積
記載なし
典拠資料
尼崎市史第8巻
1945.6.1
死者数
248
負傷者数
273
来襲機の種別および機数
B29・509機
主な被災地域
西長洲・金楽寺・開明・杭瀬・梶ヶ島など
被害の状況
大阪市街地域を目標とし、周辺地域に焼夷弾2706.9tを投下
焼失家屋戸数
3,730(全焼3,453 半焼277)
焼失面積
記載なし
典拠資料
尼崎市史第8巻
1945.6.7
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29・449機
主な被災地域
記載なし
被害の状況
大阪市街地域を目標とし、周辺地域に焼夷弾2706.9t、高性能爆弾749.8tほかを投下
焼失家屋戸数
記載なし
焼失面積
記載なし
典拠資料
尼崎市史第8巻
1945.6.15
死者数
64
負傷者数
247
来襲機の種別および機数
B29・511機
主な被災地域
難波・長洲・浜・下坂部・立花・杭瀬・大物・城内・開明など
被害の状況
大阪~尼崎市街地域を目標とし、周辺地域に焼夷弾3157.3tを投下
焼失家屋戸数
7,613(全焼7,184 半焼429)
焼失面積
記載なし
典拠資料
尼崎市史第8巻
1945.6.26
死者数
36
負傷者数
38
来襲機の種別および機数
B29・191機
主な被災地域
杭瀬・城内・武庫など
被害の状況
住友金属工業(大阪)大阪陸軍造兵廠を目標とし、高性能爆弾1140tを投下
焼失家屋戸数
129(全壊58 半壊71)
焼失面積
記載なし
典拠資料
尼崎市史第8巻
1945.7.19(夜間)
死者数
100
負傷者数
64
来襲機の種別および機数
B29・84機
主な被災地域
難波、大庄地区
被害の状況
日本石油関西製油所・日本人造石油尼崎工場・陸軍燃料廠を目標とし、高性能爆弾701.8tを投下
焼失家屋戸数
388(全壊180 半壊208)
焼失面積
記載なし
典拠資料
尼崎市史第8巻
1945.8.5~6(夜間)
死者数
10
負傷者数
30
来襲機の種別および機数
B29・261機
主な被災地域
大庄地区
被害の状況
西宮~御影市街地域を目標とし、焼夷弾1922.8t、高性能爆弾33.5tほかを投下
焼失家屋戸数
320(全焼320)
焼失面積
記載なし
典拠資料
尼崎市史第8巻
1945.8.9~10(夜間)
死者数
20
負傷者数
50
来襲機の種別および機数
B29・107機
主な被災地域
大庄地区
被害の状況
日本石油関西製油所・日本人造石油尼崎工場・陸軍燃料廠を目標とし、高性能爆弾918tを投下
焼失家屋戸数
330(全壊130、半壊200)
焼失面積
記載なし
典拠資料
尼崎市史第8巻
1945.1.19
死者数
322
負傷者数
141
来襲機の種別および機数
B29 62機
主な被災地域
明石市川崎町 大蔵谷 船上・林・小久保
被害の状況
明石西部に位置した川崎航空機工場を標的としたもので、投下された爆弾総トン数は154tに及ぶ。川崎航空機工場の全屋根面積の39%、市の約9.6haに損害を与える。
焼失家屋戸数
274
焼失面積
不明
典拠資料
『明石市史 現代編・』
1945.5.21
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29 1機
主な被災地域
不明
被害の状況
爆弾2tの投下。被害なし。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『明石市史 現代編・』
1945.6.9
死者数
664
負傷者数
600
来襲機の種別および機数
B29 24機
主な被災地域
明石公園周辺 明石市川崎町 船上
被害の状況
川崎航空機工場を標的としたもので、M56爆弾144tを投下。工場には被害がなかったが、明石公園に避難した市民269人が命を落とした。
焼失家屋戸数
1227
焼失面積
不明
典拠資料
『明石市史 現代編・』
1945.6.22
死者数
28
負傷者数
21
来襲機の種別および機数
B29 26機
主な被災地域
明石市川崎町 林・和坂・玉津・吉田 岩岡村
被害の状況
川崎航空機工場を標的としたもので、M56爆弾144tを投下。工場には被害がなかったが、明石公園に避難した市民269人が命を落とした。
焼失家屋戸数
175
焼失面積
不明
典拠資料
『明石市史 現代編・』
1945.6.26
死者数
142
負傷者数
207
来襲機の種別および機数
B29 31機
主な被災地域
材木町・和坂・鳥羽・明石公園・玉津・櫨谷
被害の状況
阪神・中京地域の9目標をターゲットとしたもので、明石では、爆弾184tが投下され、多大な損害をもたらした。
焼失家屋戸数
357
焼失面積
不明
典拠資料
『明石市史 現代編・』
1945.7.7
死者数
360
負傷者数
190
来襲機の種別および機数
B29 124機
主な被災地域
鳥羽・小久保・大明石・大蔵・上ノ丸・玉津
被害の状況
攻撃目標を川崎航空機工場から明石市街地へ移したもので、中小都市に対する無差別焼夷弾攻撃が展開された。明石では焼夷弾1045tが投下された。明石市の24%(109ha)と川崎航空機会社の74%が損害を受けた。
焼失家屋戸数
9075
焼失面積
不明
典拠資料
『明石市史 現代編・』
1945.7.28
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29 3機
主な被災地域
明石川
被害の状況
500ポンド爆弾数発を投下、明石川水道管を破壊。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
『明石市史 現代編・』
1945.3.19
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
鳴尾村
被害の状況
小型爆弾投下及び銃撃。飛行場並びに民家約50戸に軽微な被害。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
西宮現代史第1巻2
1945.5.11
死者数
85
負傷者数
250
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
西宮市
被害の状況
爆弾投下。
焼失家屋戸数
204
焼失面積
不明
典拠資料
西宮市史第三巻
1945.6.5~9
死者数
75
負傷者数
268
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
西宮市
被害の状況
爆弾及び焼夷弾投下。
焼失家屋戸数
1303
焼失面積
不明
典拠資料
西宮現代史第1巻2及び西宮市史第三巻
1945.6.15
死者数
15
負傷者数
122
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
西宮市
被害の状況
焼夷弾投下。
焼失家屋戸数
1257
焼失面積
不明
典拠資料
西宮現代史第1巻2及び西宮市史第三巻
1945.7.10~24
死者数
37
負傷者数
69
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
西宮市
被害の状況
爆弾の投下及び銃撃。飛行場・武庫川堤防に被害有。
焼失家屋戸数
108
焼失面積
不明
典拠資料
西宮現代史第1巻2及び西宮市史第三巻
1945.8.5~10
死者数
613
負傷者数
1879
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
西宮市
被害の状況
爆弾及び焼夷弾の投下
焼失家屋戸数
16189
焼失面積
不明
典拠資料
西宮現代史第1巻2及び西宮市史第三巻
1945.5.11
死者数
39人
負傷者数
16人
来襲機の種別および機数
B29 60機
主な被災地域
津知町三条町西山町
被害の状況
川西航空機甲南製作所(武庫郡本庄村=現・神戸市東灘区青木地区)が目標。投下爆弾は500ポンド(約250kg)。
焼失家屋戸数
全焼・半焼0戸全壊84戸半壊91戸
焼失面積
不明
典拠資料
新修芦屋市史本篇(1971)神戸大空襲(1972、神戸空襲を記録する会)ある中学生の戦中日記(1991、高瀬湊)総務省HP
1945.6.5
死者数
11人
負傷者数
5人
来襲機の種別および機数
B29 350機
主な被災地域
不明
被害の状況
神戸市東部への焼夷弾攻撃の余波。損害は神戸市街地だけでなく、御影から西宮にまで及んだ。
焼失家屋戸数
全焼11戸
焼失面積
不明
典拠資料
新修芦屋市史本篇(1971)神戸大空襲(1972、神戸空襲を記録する会)ある中学生の戦中日記(1991、高瀬湊)総務省HP
1945.6.15
死者数
0人
負傷者数
0人
来襲機の種別および機数
B29 444機
主な被災地域
不明
被害の状況
大阪および尼崎の市街地を目標とした焼夷弾攻撃の一部。
焼失家屋戸数
全焼3戸
焼失面積
不明
典拠資料
新修芦屋市史本篇(1971)神戸大空襲(1972、神戸空襲を記録する会)ある中学生の戦中日記(1991、高瀬湊)総務省HP
1945.8.5~6
死者数
89人
負傷者数
129人
来襲機の種別および機数
B29第314航空団125機第73航空団130機
主な被災地域
芦屋市の市街地の広い範囲
被害の状況
いわゆる「阪神大空襲」。御影・芦屋・西宮の全市街地の約3割に損害。
焼失家屋戸数
全焼2,732戸半焼87戸全壊11戸半壊35戸
焼失面積
不明
典拠資料
新修芦屋市史本篇(1971)ある中学生の戦中日記(1991、高瀬湊)総務省HP
1945.3.19
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
アメリカ機動艦隊の艦載機延べ120機
主な被災地域
伊丹市内
被害の状況
伊丹飛行場に波状攻撃
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
伊丹市史第3巻
1945.6.15
死者数
9人(伊丹・川西・神津・園田地区)*
負傷者数
重傷者6人(伊丹・川西・神津・園田地区)*
来襲機の種別および機数
B29約300機
主な被災地域
伊丹市内
被害の状況
東洋紡績伊丹工場(旧伊丹製絨所)が全焼高畑から新伊丹にかけて民家の焼失
焼失家屋戸数
全焼449戸半焼15戸(伊丹・川西・神津・園田地区)*
焼失面積
不明
典拠資料
伊丹市史第3巻(*行政査察使として派遣された八角三郎氏による調査結果 一部市外区域含む)
1945.7月以降(繰り返し行われた。)
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
P51戦闘機並びに艦載機
主な被災地域
伊丹市内
被害の状況
飛行場襲撃市民の被害はわずかであった。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
伊丹市史第3巻