1942.4.18~1945.7.26にかけて計63回
死者数
7858
負傷者数
10378
来襲機の種別および機数
B25来襲機数 2機 合計来襲機数 2,579機
主な被災地域
別表の被害区をみると、63回の爆撃はそれぞれ市内各区を爆撃、1945年1月3日には全市が対象となっている-と記載されている。なお、豊明町、東郷村、三好村など当時の市外町村も含まれている。
被害の状況
63回の空襲のいくつかの爆撃目標として三菱発動機大幸、三菱航空機大江、愛知時計電機、愛知航空機船方、市街地中心部などの記載がある。
焼失家屋戸数
被害戸数のみ記載されており焼失したかは不明
焼失面積
記載なし
典拠資料
新修名古屋市史第6巻(表12-1名古屋空襲一覧)
1945.1.9
死者数
0人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
東田町・牛川町
被害の状況
33世帯被災
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
「豊橋市戦災復興誌」「平成26年度子どものための平和展」目録
1945.2.15
死者数
10人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29
主な被災地域
向山町・三ノ輪町
被害の状況
115世帯被災
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
「豊橋市戦災復興誌」「昭和二十年二十一年事務報告書」「豊橋市史第四巻」「平成26年度子どものための平和展」目録
1945.2.16
死者数
0人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
艦載機
主な被災地域
大崎海軍飛行場・老津陸軍飛行場、高豊・前芝・杉山村、大清水町
被害の状況
高豊村で1世帯被災
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
「豊橋市戦災復興誌」「豊橋市史第四巻」「平成26年度子どものための平和展」目録
1945.3.4
死者数
0人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
多米町・石巻村下条
被害の状況
多米山林20坪焼失
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
「豊橋市戦災復興誌」「豊橋市史第四巻」「平成26年度子どものための平和展」目録
1945.3.25
死者数
0人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
向山町・牛川町
被害の状況
29世帯罹災・動物園被弾
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
「豊橋市戦災復興誌」「平成26年度子どものための平和展」目録
1945.4.15
死者数
8人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29
主な被災地域
小池町・柳生町
被害の状況
45世帯罹災・機関車脱線
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
「豊橋市戦災復興誌」「昭和二十年二十一年事務報告書」「平成26年度子どものための平和展」目録
1945.4.30
死者数
8人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29
主な被災地域
高師兵営・小松町・山田町・南栄町等
被害の状況
43世帯罹災
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
「豊橋市戦災復興誌」「昭和二十年二十一年事務報告書」「平成26年度子どものための平和展」目録
1945.5.19
死者数
5人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29
主な被災地域
花田町・小池町
被害の状況
108世帯罹災
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
「豊橋市戦災復興誌」「昭和二十年二十一年事務報告書」「平成26年度子どものための平和展」目録
1945.6.19~20
死者数
624人
負傷者数
344人
来襲機の種別および機数
B29 136機
主な被災地域
市内全域
被害の状況
豊橋市街地を目標とした、本格的都市空襲。6月19日11時過ぎより爆撃開始(20日1時前との説もあり)。罹災人口71,502人、全戸数の70%が焼失し、罹災人口は50%に及んだ。
焼失家屋戸数
焼失・全壊16,886戸
焼失面積
被害面積128万6155坪
典拠資料
「豊橋市戦災復興誌」「昭和二十年二十一年事務報告書」「平成26年度子どものための平和展」目録
1945.7.9
死者数
1人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
西小田原町
被害の状況
不明
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
「昭和二十年二十一年事務報告書」
1945.1.5
死者数
0
負傷者数
0
来襲機の種別および機数
B29 1機
主な被災地域
市街地
被害の状況
名古屋市にある大工場の下請け工場が多く存在したためと見られる6ポンド焼夷弾
焼失家屋戸数
8
焼失面積
約250坪
典拠資料
岡崎市戦災復興誌
1945.5.14
死者数
0
負傷者数
0
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
市街地
被害の状況
名古屋市にある大工場の下請け工場が多く存在したためと見られる6ポンド焼夷弾
焼失家屋戸数
2
焼失面積
約50坪
典拠資料
岡崎市戦災復興誌
1945.7.20
死者数
207
負傷者数
348
来襲機の種別および機数
B29 80機
主な被災地域
市街地
被害の状況
名古屋市にある大工場の下請け工場が多く存在したためと見られる6ポンド焼夷弾
焼失家屋戸数
7313
焼失面積
約60万坪
典拠資料
岡崎市戦災復興誌
1944.12.17
死者数
なし
負傷者数
なし
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
萩原町西御堂
被害の状況
西御堂の上空で油脂焼夷弾が炸裂
焼失家屋戸数
6戸
焼失面積
不明
典拠資料
『村の歩み 尾張国 西御堂』(西御堂町内会市編纂委員会、1999)
1945.1.7
死者数
なし
負傷者数
なし
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
北今地区
被害の状況
狙われたわけではなく、別都市を空襲した際に余った焼夷弾を投棄
焼失家屋戸数
7戸
焼失面積
不明
典拠資料
『尾西市史 通史編 上巻』(尾西市、1998)
1945.5.14
死者数
34人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
浅井町付近
被害の状況
不明
焼失家屋戸数
51戸
焼失面積
不明
典拠資料
『一宮市浅井町史』(1967)
1945.7.12深夜~13朝
死者数
30人
負傷者数
227人
来襲機の種別および機数
B29 約20~50機
主な被災地域
今伊勢町、葉栗地区、西成地区
被害の状況
戦意と戦力の両方を打ち砕くため、軍需工場がある市街地を狙ったが、狙いが外れ、郊外地域に焼夷弾を投下
焼失家屋戸数
919戸
焼失面積
不明
典拠資料
・『新編一宮市史 本編下』(1977)・『毛織のメッカ尾州 尾西毛織工業九十年のあゆみ』(尾西毛織工業同組合編纂委員会、1992)
1945.7.28
死者数
654人
負傷者数
726人
来襲機の種別および機数
B29 約260機
主な被災地域
旧一宮市内中心地
被害の状況
1945.7.12の空襲と同様の狙いで市街地に油脂焼夷弾を投下。真清田神社、国鉄尾張一宮駅、川崎航空機工業、日本毛織一宮工場などが焼失
焼失家屋戸数
10,467戸
焼失面積
不明
典拠資料
『新編一宮市史 本編下』(1977)
1944.5.10
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29(機数不明)
主な被災地域
本地地区(坊金町)
被害の状況
焼夷弾が投下され家屋焼失
焼失家屋戸数
4戸
焼失面積
不明
典拠資料
安藤政二郎「肩のこらぬよみもの 瀬戸・明治百年」『大瀬戸 昭和43年3月22日付』
1945.2.13
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
爆撃機1機
主な被災地域
田端町(共栄橋付近)
被害の状況
19:58~20:05に爆弾が投下され、2階建ほどの大穴ができた。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
瀬戸地下軍需工場跡を保存する会『平和への散歩道を ぼくらの町にも戦争があった』2010
1945.3.11~12
死者数
不明
負傷者数
重症2人
来襲機の種別および機数
B29、2機
主な被災地域
新開地(現在の陶原町3・4丁目)
被害の状況
11日20:40~12日3:05に焼夷弾が投下され、家屋焼失し重傷者がでる。機銃掃射も確認される。瀬戸で最も大きな被害
焼失家屋戸数
全焼26戸
焼失面積
不明
典拠資料
安藤政二郎「肩のこらぬよみもの 瀬戸・明治百年」『大瀬戸 昭和43年3月22日付』瀬戸地下軍需工場跡を保存する会『平和への散歩道を ぼくらの町にも戦争があった』2010
1945.5.17
死者数
1名以上
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
爆撃機(機数不明)
主な被災地域
本地・菱野地区
被害の状況
0:33~4:30に焼夷弾(ナパーム、エレクトロン)が投下され、死者がでた。名古屋等に爆撃した爆撃機の帰路で残弾を落としたものと推測されている。
焼失家屋戸数
全焼4戸以上
焼失面積
不明
典拠資料
瀬戸地下軍需工場跡を保存する会『平和への散歩道を ぼくらの町にも戦争があった』2010
1945.7.24
死者数
264人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29 78機
主な被災地域
上浜町東洋町
被害の状況
中島飛行機半田製作所本工場及び山方工場に爆弾投下
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
半田の戦争記録
1945.3.25
死者数
29人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29 機数不明
主な被災地域
王子町、松河戸町、桜佐町
被害の状況
王子町の鳥居松工廠が目標とみられ、約5回の空襲松河戸町、桜佐町に500キロ爆弾、26発の焼夷弾を投下
焼失家屋戸数
5戸
焼失面積
不明
典拠資料
郷土史かすがい第25号
1945.8.14
死者数
4人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29 機数不明
主な被災地域
鷹来町、王子町
被害の状況
鷹来町の鷹来工廠、王子町の鳥居松工廠が目標とみられ、大型爆弾を投下
焼失家屋戸数
数十戸
焼失面積
不明
典拠資料
郷土史かすがい第25号春日井市史
1944.2.19
死者数
0人
負傷者数
0人
来襲機の種別および機数
B29爆撃機 1機
主な被災地域
豊川市大木町
被害の状況
爆弾が落とされたが、人的被害なし。
焼失家屋戸数
1戸
焼失面積
不明
典拠資料
一宮町誌
1945.1.23
死者数
0人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
不明
主な被災地域
豊川市御津町豊沢
被害の状況
爆弾19発が落とされたが、死者は出なかった。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
御津町史
1945.2.15
死者数
2人
負傷者数
5人
来襲機の種別および機数
B29爆撃機 約40機のうちの1機
主な被災地域
豊川市新豊町・麻生田町
被害の状況
爆弾が落とされ、2人死亡、5人重軽傷。線路の橋脚や民家に被害が出た。
焼失家屋戸数
2戸
焼失面積
不明
典拠資料
新編豊川市史
1945.5.17
死者数
1人
負傷者数
0人
来襲機の種別および機数
B29爆撃機 1機
主な被災地域
豊川市江島町
被害の状況
焼夷弾・油脂焼夷弾が落とされ、民家8戸と物置1棟が全焼。不発弾処理の際、1人が死亡。
焼失家屋戸数
8戸
焼失面積
不明
典拠資料
一宮町誌
1945.5.19
死者数
7人
負傷者数
2人
来襲機の種別および機数
B29爆撃機 1機
主な被災地域
豊川市土筒町・当古町・雨谷町・三谷原町
被害の状況
爆弾が落とされ、7人死亡、2人重軽傷。民家や寺社・集会場に被害。
焼失家屋戸数
12戸
焼失面積
不明
典拠資料
新編豊川市史
1945.5.19
死者数
20~30人くらい
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29爆撃機 1機
主な被災地域
豊川海軍工廠
被害の状況
豊川海軍工廠に爆弾15発くらいが落とされ、約30人が死亡。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
新編豊川市史
1945.6.19~20
死者数
0人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29爆撃機 90機のうち2機
主な被災地域
豊川市御津町下佐脇・下長山町・中条町
被害の状況
豊橋空襲の際、大きく旋回したB29爆撃機が当市内に飛来し、焼夷弾を落とした。
焼失家屋戸数
59戸
焼失面積
不明
典拠資料
御津町史新編豊川市史
1945.6.26
死者数
1人
負傷者数
数名
来襲機の種別および機数
B29爆撃機 1機
主な被災地域
豊川市金屋町
被害の状況
爆弾13発(?)が落とされ、工場4棟、民家2戸が全壊。1人が死亡し、負傷者も数名出た。
焼失家屋戸数
6戸
焼失面積
不明
典拠資料
新編豊川市史
1945.7.15
死者数
1人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
P51戦闘機
主な被災地域
豊川市内各所
被害の状況
P51戦闘機が、豊川海軍工廠はじめ豊川市内各所を機銃掃射。名鉄御油駅に停車中の電車も機銃掃射を浴び、乗客1人が死亡。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
新編豊川市史
1945.7.20
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
小型の戦闘機
主な被災地域
豊川海軍工廠はじめ市内各所
被害の状況
敵戦闘機が飛来し、豊川海軍工廠はじめ市内各所を機銃掃射。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
新編豊川市史
1945.7.25
死者数
不明
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
P51戦闘機
主な被災地域
豊川海軍工廠
被害の状況
P51戦闘機が、豊川海軍工廠に来襲。急降下して機銃掃射を繰り返す敵機に対し、工廠の機銃砲台も一斉砲撃して応戦。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
新編豊川市史
1945.8.2
死者数
1人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
戦闘機 十数機
主な被災地域
豊川市国府町はじめ市内各所
被害の状況
敵戦闘機が十数機飛来し、国府町内を機銃掃射。名鉄国府駅に停車中の電車も機銃掃射を浴び、乗客1人が死亡。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
新編豊川市史
1945.8.7
死者数
35人
負傷者数
不明
来襲機の種別および機数
B29爆撃機124機P51戦闘機45機
主な被災地域
豊川市御津町西方・上佐脇
被害の状況
豊川海軍工廠空襲の際、米軍が目標の手前で60発以上の500ポンド爆弾を投下したもの。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
御津町史新編豊川市史
1945.8.7
死者数
2,500人以上
負傷者数
約10,000人
来襲機の種別および機数
B29爆撃機124機P51戦闘機45機
主な被災地域
豊川海軍工廠
被害の状況
大軍需工場である豊川海軍工廠が標的とされ、3,256発の500ポンド爆弾(250キロ級爆弾)が集中投下された。
焼失家屋戸数
不明
焼失面積
不明
典拠資料
新編豊川市史